2015年8月1日 第199話             

利生(りしょう)

 
     菩提心を発すというは、己れ未だ度らざる前に
     一切衆生を度さんと発願し営むなり、
     たとい在家にもあれ、たとい出家にもあれ、
     あるいは天上にもあれ、あるいは人間にもあれ、
     苦にありというとも楽にありというとも
     早く自未得度先度佗の心を発すべし。 修証義
            

自分が優秀だと思いますか

 東京工業大学の上田紀行さんが、2010年に、韓国、中国、米国、日本の1000人の高校生に同じ質問をしたそうです。
 「自分が優秀だと思いますか」という質問に、「まったくそうだ、まあそうだ」、と答えた高校生の割合で一番高かったのが米国で88%、次いで中国が66%、韓国が47%であったのに対して、日本の高校生はなんと15%にしか過ぎなかったのです。

 同じ質問で、日本の高校生は「あまりそうでない」が38%、「まったくそうでない」が45%、つまり自分は優秀だと思わないと答えた生徒がほとんどだったのです。自分を高く評価して他に売り込みたいとする大陸型の意識に比べて、日本人は謙遜を美徳として、「自分は優秀でない」と、ひかえめな答えをするのでしょうか。

 そして、「私は先生に優秀だと認められてますか」という問いに対して、「まったくそうだ、まあそうだ」、と答えた高校生の割合が一番高かったのが、やはり米国で82%、中国が55%、韓国が40%で、日本の高校生については18%でした。つまり、日本の高校生は「あまりそうでない」が41%、「まったくそうでない」が39%で、80%が「先生に優秀だと認められていない」と思っているようです。

 それでは親(保護者)に対して、子である高校生はどのように受けとめているのでしょうか。親(保護者)は「私が優秀だと思っている」と答えたのは、これも米国で91%、中国が89%、韓国が74%で、日本の高校生は33%でした。そして「あまりそうでない」42%、「まったくそうでない」25%で、日本の高校生は自分は「親(保護者)に優秀な子だと認められていない」と答えた生徒が77%もいるのです。日本では生徒と先生、子と親との信頼関係がないのではと、思いたくなるような結果です。

私は価値のある人間だと思いますか

 また、同じく東京工業大学の上田紀行さんの、2010年の調査では、
「私は価値のある人間だと思いますか」という質問について、「まったくそうだ、まあそうだ」、と答えた高校生の割合で一番高かったのが、これも米国で89%、中国が88%、韓国が75%と、いずれも高いのに比べて、日本の高校生は36%でした。そして同じ質問で日本の高校生は、「あまりそうでない」が46%で、「まったくそうでない」が17%で、「私は価値のある人間だと思わない」 と答えた高校生が多いのです。

 「私は自分に満足していますか」という問いに対しても、「まったくそうだ、まあそうだ」と答えた高校生の割合で一番高かったのがやはり米国で80%、中国が69%、韓国が63%で、日本の高校生は25%でした。日本の高校生は「あまりそうでない」45%、「まったくそうでない」 30%で、自分に満足していないと答えた高校生が75%もあったのです。

 「私は価値のある人間だと思う」という認識が諸外国では高いのに、日本人は低い、これはどうしてでしょうか。そして「私は自分に満足しています」という答えも米国では高く、中国も、韓国の生徒もそれなりに自分自身について満足であると思っているのに、日本の高校生には満足感がすこぶる低いのはなぜでしょうか。

 日本の高校生は、自分は価値のない人間であり、自分で自分を優秀だと評価できないのみならず、先生や親からも自分のことを優秀だと認めてもらってないと思っています。日本ではそういう高校生がとても多いのは、自分の力量の低さを嘆いて、奮起しなければという意識を強くもっているからでしょうか。あるいは、自信を無くして、自分の将来に失望しているのでしょうか。

スマホを放せば心やすらか

 スマホが生活の中に入ってきてまだそんなに時が経っていないのに、もう老いも若きも情報のツールとして、スマホが生活の必需品になってしまった。でも、携帯電話は使えても、スマホは馴染まないという高齢の人はまだまだ多いようです。

 今や子供も大人も、いつでも、どこでも、スマホやケータイが手元になければ不安だという人が多いのも事実でしょう。子供や若い人はゲームに夢中になり、話すことなくメールやラインで意を伝え合う。しかも同時に複数の人との通信が可能です。しかしそこには人情も人肌のぬくもりも、やさしさや思いやりの心も、そういうものがともなわない短い文字でやりとりされています。

 現代人は食事しながらも、お茶しながらも片時もスマホを離そうとしません。ゲーム機やケータイで育った子が今、母となり父となり、スマホ片手に子育てをしています。若いお母さんが我が子に授乳するときも、そのお母さんの片手にはスマホがあり、赤ちゃんが母親の顔を見て、母の微笑みに安心することもなく、授乳が作業としてなされています。

 赤ん坊はやがて乳離れして成長していくでしょうが、その子が高校生になった時に、「自分が優秀だと思いますか」「私は先生に、親に優秀だと認められてますか」「私は価値のある人間だと思いますか」「私は自分に満足していますか」と問えば、どのように答えることになるのでしょうか。


人生は利他行

 親が子を育てるのに、自然の生き物の場合はその子が自活して生きていくことができれば、そして子孫を残せる能力があればそれでよいのです。人間という生き物も基本はそうでしょうが、人間は社会をつくっていますから、人と人との関係がつながって互いを生かしあっています。

 人間は世間に生きています。世間が人間を生かしてくれます。したがってスマホのない時代の親は子を育てるのに「世の中に役立つ人になりなさい」と、世の中で役立たない人は生きていけないことも教えました。ところがスマホ片手に子育てをしている親は、「世の中に役立つ人になりなさい」と、わかりやすい言葉で子供に話せるでしょうか。

 世間が地域社会から国境を越える時代になりました。けれども地域社会の世間も、国際的な世間も、人は人との関係のもとに生きていることに変わりありません。人はみなこの世の共生きの同居人ですから、地域社会でも、国際社会であっても、利他
(他の人びとを利益し、救済につとめること)という生かしあいの精神は世界に通用するでしょう。グローバルな時代であるからこそ、よりいっそう利他の精神が尊ばれなければならない。

 「他を幸せにしなければ、自らの幸せはない」、人生は利他行です。この利他の願いを持ち続ける限り、その人は優秀であり、価値のある人間です。生きものは逆境にさらされると強い、苦しい時こそ利他の生き方が生命力を活気づかせます。自分に満足できる生き方は利他行により可能になるでしょう。
 

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