2013年10月1日 第177話             


阿吽(あうん)

    
   色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
   この世の現象としてあらわれている肉体および物質的なもの色は、
   ほんとうは実体がないもの空です、
   この世に存在するもろもろのものを
   実体のあるものだと思いこんでいますが、
   実体のない空にほかならないのです
   空はそのまま色であり、色はそのまま空です (般若心経)



白と黒、赤と白


 のし袋を結わえる水引は中国から入ってきた品物につけられていた紐が起源であるといわれていますが、生滅を色で表わしたものだという説もあります。水引の色は左右の色が異なり、慶弔によって色の用い方が異なります。慶事には赤白、弔事には黒白、黄白と使い分けされます。これは習慣化された日本の伝統的な礼儀作法の一つとなっています。

  のし袋を結わえる水引だけでなく、白と黒、赤と白という色のちがいでものごとを区別することがあります。ある事柄の原因を特定することにおいて白黒をつけるとか、赤組み白組みと組み分けを表したり、勝負での白は勝ち黒は負け、損得勘定では赤字、黒字と表現します。

 解決しづらい対立する問題の処理において、双方の言い分が成り立つように、玉虫色を選択することがあります。白黒をつけない判断が得策で、決着しないことでうまく収まるという場合には、あえて玉虫色を選択します。北方領土、尖閣列島、竹島などの領有権問題でも人類の叡智をもってすれば、第三の解決方法があるはずです。

 のし袋を結わえる水引には、悲しみを表す白と黒、喜びを表す赤と白という色の組み合わせで、生き死にの明暗を分ける意味が込められています。それは生を喜び、死を遠ざけたいという人々の思いが根底にあるからです。
一方が明るければ、一方は暗し

 夏の暑い時期は木陰が心地よい。冬は暖かい日向が好まれるが、影は寒いから嫌われる。日のあたる側は好きだけれど、影は嫌いというのは人の本音かもしれません。しかし一方が明るければ一方は暗しで、明があるから暗がある、明暗は一つのものです。

 明暗は一つのものですが、暗より明るいほうが好まれる。それは明を生まれる、暗を滅することと連想するからかもしれません。暗のみを見て死を連想するからと暗をけぎらいしても、明があれば暗があり、生あれば滅ありで、明暗一如、生滅一如です。

 世界遺産の富士山のその雄姿を仰ぎ見ることはまれで、雲に隠れて見えないことが多い。また明月の輝きをもとめても、月に群雲で、その光はすぐに雲に遮られてしまう。見えなくとも富士の雄姿が、また明月が消えてなくなることはない。晴れてよし曇りてもよし、もとの姿は変わらざりけりです。

 明暗であれ、生滅であれ、対立したものとしてとらえると見えてこないものが多い。ものごとを認識するのに、一方ばかり見ていると他方が見えない。車の運転でも前後左右の確認がもとめられるけれど、上下に危険が潜んでいないとは言い切れません。
人生は阿吽

 私たちは人身を得てこの世に生まれてきました。生まれる前はなにもない、元はといえば無です。そして死んでしまえば、また元の無に帰る。今生きているといえども、人身は無から生まれて無に帰るから、人身とは実体がない虚仮かもしれません。

 人身とは、本来は実体のない虚仮だとすれば煩悩もないはずです。ところが人は欲で認識するから、ことごとくに執着して、ものごとをゆがんで受け取ってしまい、自分自身で悩み苦しみをつくりだしてしまいます。煩悩は欲より生じるから、欲の気持ちを少しでもおさえれば(少欲知足)、悩み苦しみも小くなるはずです。

 生滅はこの世の姿です。どんなモノでも生まれてきたモノは必ず滅します。宇宙も生滅するものであり、それは阿吽(あうん)です。宇宙の始まりが「阿」で、宇宙の終わりが「吽」です。人の一生も阿吽の呼吸のようなものです。人生の始まりは「阿」、生まれたときに大きく口を開いてこの世の空気を吸ってオギャーと泣いて、死ぬときは「吽」、息をフーと吐いて口を噤み人生を終える、ただそれだけです。

 モノが存在しているといえども、存在しているモノのすべてが永遠に不変不滅ではありえません。すなはち生滅は世の姿であり、生まれたモノは必ず滅していく。欲だ煩悩だというけれど、人身を得て存在するのは今だけで、明日も存在するという保証はありません。
 
色即是空 空即是色

 生命は赤と白の一滴から始まる。人の場合は母親と父親のそれぞれの一滴が受精卵となり新しい命が生まれる。たった一つの受精卵の細胞が母親の胎内で10ケ月間かけて3兆個もの細胞に増えて、赤ちゃんとして成長し、人間としてこの世に誕生します。

 般若心経に色即是空、空即是色とありますが、その実体が確認できるものを「色」といい、確認できないものを「空」という。
 道元禅師は「身体髪膚は父母に稟く、赤白の二滴は、終始是れ空なり、所似に我に非ず」と教えられた。赤白の二滴といえども、元は実体がない「空」です。

 私たちは人身という「色」を得てこの世に生まれてきました。ところが人身という「色」は、生まれる前はなにもない、もとはといえば「空」です。そして死んでしまえば、また元の実体のない「空」に帰ります。だから人身は「色」といえども「空」です。道元禅師は「赤白の二滴は、終始是れ空なり、所似に我に非ず」といわれ、すべからく自己の執着心を捨て去れと教えられた。

 人の命は「空」から始まり、人身という「色」を得て生まれ、人として生きて、滅してまた「空」に帰ります。本来は実体がない虚仮だから、ゼロから生まれてまたゼロになる、すなはち「無」です。
 黒と白・赤と白、明だ暗だというけれど、いずれも「空」でもなければ「色」でもない、生死に執着するあさはかな人間のたわごとにしかすぎないようです。
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