2013年8月1日 第175話             

          
命のまつり      

    
     (むつ)の道 遠近(おちこち)迷う (ともがら)は 
     吾が父ぞかし 吾が母ぞかし    道元禅師


精霊迎え


 お盆の起源を二千五百年前のインドでのお釈迦様の頃にもとめる説があります。お釈迦様の十大弟子に目連尊者という僧がいましたが、修行により神通力という、何でも見通すことができる不思議な能力がそなわったそうです。
 目連尊者は神通力によって亡きお母様があの世で苦しんでいるのを知った、そこでお釈迦様の導きにより、修行期間の終わりに修行僧に衣食を供養したところ、亡きお母様がその苦しみから救われたと、「仏説盂蘭盆経」に説かれています。
 その苦しみのことをインドの古い言葉でウランバナ(倒縣(さかさずり))の苦しみ)と言いました。このウランバナという言葉が盂蘭盆になって、お盆になったそうです。

 また日本古来の精霊迎えの風習が合わさって、これに五穀豊穣と一家の安寧の祈願も合わせ行われるようになったのがお盆のおまつりだともいわれています。
 お盆には精霊棚を設けて、精霊をお迎えします。亡き人の初めてのお盆は初盆(新盆)といいます。
 盆棚を霊座とすることから、床の間や仏壇の前に、あるいは新仏を迎える新盆棚は縁側に、精霊を迎えまつる盆棚が設けられます。正式には四方に竹を立てて縄を張り、その中に雛壇を置いて上にゴザを敷き、上段にご先祖の位牌を並べます。華・燭・香と、山・野・海のものが供えられます。

 地域や慣習によって盆棚のまつり方はさまざまですが、蓮などの葉の上にキュウリとナスをサイの目に刻み洗米をまぜた「水のこ」、やや大きめの器に「あか水」を盆花のミソハギを添えてお供えします。子々孫々に家が長く栄えるようにと、素麺を、そして張った縄には、昆布、カンピョウ、豆、稲穂、ホオズキなども掛けられ、豊穣の祈りと先祖への感謝の気持ちをあらわします。京都ではご先祖を盆棚に迎えて、はじめに落ち着き団子がそして家門伝来のしきたりによって飲食を供えます。

 「赤い実のホオズキはご先祖様を迎えるお灯明の代わりですよ、迎え火を焚き、足の速いキュウリの馬でお迎えをして、送り火を焚いて足の遅いナスの牛でゆっくりとお帰りいただくのですよ」と、お婆さんがお孫さんに話しながら、子供も一緒に精霊棚のお飾りをします。
 家族みんなで盆棚を準備してご先祖さまをお迎えします。お供え物やまつりごとのしきたりを通して、ご先祖さまの命を受け継ぎ、自分が今、この世に生きている、その幸せの実感を味わうことができる、これがお盆のおまつりです。命の不思議、命の尊厳、自然との関わり方、そして人生について、子も親もお盆のまつりごとから学ぶことがとても多いようです。

あなたにとって、ご先祖さまとは?

 お盆には亡き人の精霊をお迎えして、あの世でなくこの世で共に一時を過ごします。やさしかったお父さんの顔が、あたたかいお母さんのぬくもりが、亡き人のにこやかなほほえみのお顔が目の当たりに浮かんできます。盆棚に灯明をあげて思わず話しかけます。亡き人やご先祖さまとの親密な関係がよみがえるのもお盆です。

 盆棚を設けて先祖を迎えまつるお盆のおまつりは、地域によって違いがありますが、近年この伝承が危ぶまれています、これは命の源である先祖霊にふれ、やさしさの心を取り戻す機会が持てなくなってきたことを意味します。
 命への思いが希薄になった子供たち、なにごとも経済原理でしか推し量れない大人たちにとって、安らいだ心境とあたたかな生命の息吹を精霊まつりで感じとる、お盆のおまつりは命の故郷に帰り、やさしさの心を取り戻す一時なのです。

 近代の科学は生命の謎を遺伝子の研究により解き明かそうとしてきました。何万年の昔から、命を受け継いで進化し、一度も途切れることなく連続してきたのが私たちの命です。だからこの命の源、命の連続の跡がご先祖さまです。
 この不思議な命の源・命の連続は人間の思慮分別を超えたものです。したがってご先祖さまを 「家の先祖」や 「一族の祖先」などというような次元からだけでなく、ご先祖さまを地球生命・命の軌跡として理解したいものです。「家や一族のご先祖さま」のずっと先に命の源があり、そこから今に至るまであらゆる地球生命が連続しています、何万年もの時間を経た命の連続において、あなたも私も、そして生きとし生けるもの一切が、かけがえのない存在として、命の支えあい、生かしあいのために、この世に生まれてきて、今、ここに生きています。

 ご先祖さまは、あなたにとってどんな存在ですか、先祖霊は命の源です、もとより家や一族などというこだわりを超えたものであり、一度もとぎれることなく何万、何千年も連続してきたからこそ、今の私が、あなたが、そして万物生命があるのです。この命の連続こそがご先祖さまです。
 この地球では、万物生命との共生によって人類も生きていける。だから人間の目から万物を見るのではなく、万物生命から自分の命を見るという視点に変えるべきです。
 この世に生を受けただれもが、命の源から連続する尊い命をいただいたかけがえのない存在として、望まれてこの世に生まれてきた。ご先祖の御霊をお迎えするお盆の精霊まつりに、今生きていることを喜び、命を大切にして生き抜いていくことを、ご先祖さまの前でお誓いしましょう。お盆の精霊まつりは命をたたえる、すばらしい日本の伝統行事です。

命伝えのおまつり

 気の遠くなる時間を経て地球上に進化をとげた命が今ここに、人間の私として存在しています。命の源であるご先祖さまから命が途切れることなく伝わり、今、自分の命がある、そして先祖の命を受け継いだ私が子孫に命をつなげていく、だから先祖迎えのおまつりであるお盆は「命伝えのまつり」です。

 そして、どんな命でも、たった一つ、たった一人で生き続けることはできない、必ず他の支え、他の犠牲によって、他との関係においてはじめて生きてゆける、このことにも思いをはせるのもお盆でしょう。それで無縁仏にも生きとし生けるすべてのものにも供養します。お盆は、共生きのすべての命をたたえるおまつりです。

 かつて日本人のそれぞれの家庭には、仏壇があって先祖をまつり、神棚があって天地自然をあがめる、目には見えない大きな力に畏敬の念を表すことによって、見守られているのだという安堵を得てきました。家庭が居場所そのものです。その安らぎの場である家庭という居場所が不安なところになってしまえば、もはや心安まる所がありません。現代人が失いつつあるものが安心できる居場所です。人は居場所を確保しないと安心できません。心安らぐ居場所が家庭であり、地域社会であるはずです。

 心地よい居場所であるはずの家庭が崩壊して家族の絆が切れてしまった結果、さまざまな悲しい状況が生じています。その居場所が動揺しているということは、やはり問題です。落ち着ける居場所を持つことで、活き活きとした日常生活ができるのでしょう。
 命の源である先祖の霊を迎えて、亡き父母や亡くした子のやさしさの心とふれあうことで、今生きている自分の命を感じることでしょう。生きる希望を取り戻せるでしょう。精霊を送り終えた時、心安らぐ居場所を再発見するでしょう。

心静かなれば身すなわち涼し

 日本人の心性として、先祖霊は山の向こうに、海の向こうに、あるいは日の昇る東に、日の沈む西にあって、お正月やお盆にはこの世に帰ってくると信じています
 近頃は、東に手をあわせ朝日を仰ぎ今日の無事を祈る、西に夕映えの中に沈みゆく太陽に向かって感謝の気持ちを表し明日の幸せを願う、そういう人々の姿を見かけなくなりました。日々にお日さまを仰ぐことをしなくても、心のどこかに天地万物を拝み、神仏のご加護を願う気持ちはあるのでしょう。そしてご先祖さまに礼拝する。日本人には心のどこかにそういう気持ちがあるはずです。
 
 お正月には年神様として門松を設けて先祖霊(カミ)をお迎えし、お盆にはお精霊様として盆棚を設けて先祖霊(ホトケ)を迎えます。先祖霊は山の向こうから海の向こうから、黄泉の路よりおこしになります。それで道中がよく見えますようにとお盆の精霊迎えには火を焚き、送り火を焚いて送ります。なんと奥ゆかしいことでしょう
 また、人は森羅万象によって生かされているから、神棚をまつり、共生きの感謝の念をもって天地万物を拝みます。先祖霊をまつり、ご加護を願い、森羅万象の大いなる力に畏敬の念をはらう、これが日本人の宗教です。
 
 お盆の時期は農閑期でもあり五穀豊穣をご先祖に祈願します。またあわせて万霊にも供養することで、生きとし生ける一切のものとの共生きの尊さを認識し、慈しみの心も醸成されます。お盆を無事にまつり終えた喜びをもって踊ったのが盆踊りの始まりだそうです。
 古来より人々は、大きな恐ろしい力に畏敬の念を持ち、見えないものが大きな力を発揮すると考えられてきました。先祖霊もその一つです。災害などさまざまな苦しみを受けないようにと、ご先祖さまに祈りました。

 ご先祖さまに顔向けできないようなことをしてはいけない、お盆の間は泳ぎに行かない、殺生してはいけない、かつてお爺さん、お婆さんがそう戒めました。それは天の声です。子供達はそういうことで、ものごとの善悪を学び、大きな力のある神仏やご先祖さまの力を信じました、これが倫理でした。
 ご先祖さまは私たちの命の源です。綿々として絶えることなく命が子々孫々に受け継がれてきたから、私たちが今、この世に生きているのです。ご先祖さまは太古から自分に至る命の源です。したがって祖父母や父母は一番近い命の源といえるでしょう。この世に人に生まれてきたことを喜ぶ心を持ち、先祖に感謝し、祖父母や父母を大切にして、尊い命を子々孫々に継承したいものです。

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