2013年3月1日 第170話      
             再チャレンジ 
   
  
 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 【般若心経】
     この世のすべてのものには実体がない、
     空だから新たに生まれるということもなく、滅することもない、
     生まれながらに汚れていることもなく、
     生まれながらに浄らかであるということもない、
     増すこともなく減ることもない。   
 

挫折は再チャレンジの一歩なり


 再チャレンジとは「一度就職活動や大学入試などで失敗した人が、何度でも挑戦できる社会をつくろう」と、2006年に安部晋三さんが内閣総理大臣に就任して、自らが提唱した言葉です。第一次安部内閣は短命であったが、この言葉の通り再チャレンジして、2012年12月に安部晋三さんは内閣総理大臣に再就任された。

 「何度も挑戦できる社会をつくろう」ということの背景には、日本は「何かに挑戦して失敗したら、死ぬかホームレスになる社会」だと言う人もあるくらい、失敗した人は社会では許されない、再チャレンジのできない、そういう社会であるということでしょうか。そうであるならば再チャレンジの意欲も起こらない、ということになります。

 日本は4月が年度始まりですから、3月は年度の最終月です。4月になると企業は新規採用の新人社員を迎え入れます。学校も新入生の入学時期です。希望するところの企業に就職できた人、できなくて職を探している人、受験して志望校にめでたく入学が決まった人、浪人を決めた人、この3月は明暗こもごもというところでしょう。

 就職活動がうまくいかず、しかたなく自分の思うところでない先に入社した人、または正規雇用でなく、やむなく派遣や臨時雇用となった人。受験で一番の志望校に入れなかったが、他の大学に入学した人、浪人の進路を選択した人、いろいろですが、挫折とは再チャレンジの一歩なり、再チャレンジの道は誰にでも平等にあるはずです。

失敗は成功の因


 つまずいて転んだら痛い、怪我もする、けれどもその経験が身につきます。転倒したという学習ができたから、次に転びそうになったら、転ばなくてすむ。「転ばぬ先の杖」とは前もって十分に注意することが肝要であるということですが、つまづきこそ転ばぬ前の杖です。転んだという経験は次に同じような状況で転ばなくてすむ。転ぶという経験をしておいたほうが後の安全につながります。

 就職試験や面接で不合格となり、どこにも就職先が決まらなければ、前途が闇のように思えて、すっかり自信を失ってしまう。受験に失敗して失望する、学校の授業についていけなくなると、自分の学力に自信が持てなくなる。自信喪失して失意のどん底に落ちたとしても、それは脱落したのではない、パワーアップのための充電中であると意識転換できればよいのです。

 何ごとも経験です、身についたものは失うことはありませんから、いろんなことを経験しておくべきです。失敗を重ねるごとに新たな工夫や発見や発想が生まれてきます、それが積み重なって成功につながります。
 「失敗は成功の因」です、失敗は成功を教えるから、「七転び八起き」して、「志有る者は事ついに成る」ということです。しっかりとした志をもっている者は困難や挫折があっても必ず乗り越えて、最後には成し遂げられる。

 受験に失敗したとか、希望する企業に就職できないといっても、人生が終わりになるわけでもない。人間失格という認定がされるものでもありません。人間いたるところに青山有りです。青山とは骨を埋めるところ、すなはち命尽きるところということで、死ぬまでその人には可能性とチャンスがある。「失敗は成功の因」なり、だからパワーアップして再起をはかればよいのです。

弱者の心を知って、まことの強者となる


 せっかく企業に就職できたのに仕事の成果を上げられない、就職活動を重ねても仕事に就けない、何につけても自信が持てなくなったという悩みを持つ人は多い。勉強がわからない、友達と上手につきあえない、部活についていけない、学校がおもしろくない、どうして学校に行かなければならないのかと、多くの子供が悩んでいます。

 競争社会においては人のために立ち止まっていたら、自分が蹴落とされて負け組になるから、他者のことなど考えずに自分のことのみを考えるという風潮があるようです。また世の中はすべて自己責任というけれど、絶望する人、頑張れない人、頑張っても夢が叶わない人もいる。はたして成功者といわれる人たちはすばらしい人生、悩みなき生活をおくっているのでしょうか。

 体罰とか、指導者の暴力が社会問題になっています。スポーツでは試合に負けたり、失敗して成績が上がらなければ、その時はそれで敗者ということになります。けれども、なぜ負けたのか、なぜ失敗したのか、なぜ勝てなかったのかを省みれば、勝者の長所や欠点が浮かび上がってくるでしょう。敗因がつかめれば自分を変えていけばよいのです。向上心と忍耐力を高めて、自分の欠点や弱点を改善して、どうすれば勝てるのかを科学的に探求して技術的に改善していけばやがて勝利につながるでしょう。

 仕事や勉学の悩みだけでなく、生きていくかぎり、さまざまな悩み事が次々と生じてきます。けれども、さまざまな悩みに向きあって悩むことに意味がある。とりわけ若い時の悩みの経験が、その後の生き方に大きく影響していく。深い悩みの経験があるものと、悩むことを避けてきたものとは、難局に直面したときに、生きぬく力がちがうはずです。辛く苦しいことも自分が経験すれば、辛いこと苦しいことがよくわかります。挫折した経験のあるものは弱者の心を知っているから、まことの強者になれるでしょう。

敗者は再チャレンジャー

 最近の若者は悩む力が弱いといわれますが、悩むほどに悩む力がついてくるものです。肝心なことは、「なぜこの世に生まれてきたのか、なんのために生きているのか、何を求めて生きていけばよいか」ということについて大いに悩むことです。窮極の悩みとは、生死についてということですが、一生かけても適切な答えはみつからないでしょう。生まれてきたことも、死んでいくことも、体験として理解できないからです。だから、自分はどういう生き方をすべきなのかについて悩めばよいのです。

 今までの自分の人生をふり返って、最良の人生であったとか、最悪なものであったとか、そういう判定が下せるでしょうか。だれだって人生が終わっていないから、これからどのような展開になるのか、最後の最後まで、それはわかりません。
 だれでも気持ちが落ち込むと、私は価値のない人間だと思ったり、むなしさや絶望感に沈んでしまいがちです。自分のことを価値のない人間だと思うようであれば、そういう思いから自分を解放しなければいけません。

 優等だ劣等だなどと、人間の価値を判定するのに基準値、平均値があるとしても、それはしょせん人間社会のことです。般若心経に「是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」とありますが、無限の宇宙には人間の思量を超えた大原則があります。大宇宙はそのままが真理であり、人間の価値基準と整合しないことも多い。人間が考える曖昧なものを、あたかも価値基準であるかのように受けとめるところに悩み苦しみの原因があるようです。

 近年は、心療内科とか精神科医にかかる精神疾患の人が増え続けています。なにごとにもこだわらずに、自分を解放しましょう。心静かにして己の心を空しくすると、宇宙の真理に生かされている自分自身に気づくはずです。けれども焦りは禁物です、気持ちが落ち着かないと、自分をじっくりと省みることも、また再チャレンジの意欲も出てきません。敗者は再チャレンジのチャンスをもっているから、焦らずに、やる気が出てくるのを、力まず肩の力抜いて、ゆっくりと待てばよいでしょう。
 
      243ページ
 出版のご案内
神応寺住職 安達瑞光著
卒哭
(そつこく) 
生き方を、変える

書店でご注文ください 
Amazon 楽天 Yahoo
でも買えます
発行 風詠社 発売 星雲社 1575円(税込

                                           戻る