2013年2月1日 第169話             

           命を、生ききる
    
     そこで尊師は修行僧たちに告げた。
     「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、
     『もろもろの事象は過ぎ去るものである。
     怠けることなく修行を完成なさい』と。」
     これが修行をつづけて来た者の最後のことばであった。
           【中村 元訳 ・ 大パリニッバーナ経より
 

お釈迦さま最後の旅


 今年は西暦2013年、お釈迦さまの仏紀では2579年です。お釈迦さまは前566年~486年頃とされているので、約2500年前の人です。
 お釈迦さまは、ヒマラヤ山麓に都をおく釈迦族の王子として生まれたとされている。その生まれ故郷のルンビニを目指しての、最後の旅の途上で亡くなられた。死の間際まで法(真理のことば)を人々に説いて、弟子達に看取られ80歳で亡くなられた。
 
 パーリ語本の「大パリニッパーナ経」には、お釈迦さまが亡くなられた前後のことが書かれています。お釈迦さま最後の旅の進路は、当時のインドのマガタ国にあった王舎城の鷲の峰から始まっている。そしてナーランダーを経て、ガンジス河を渡り、ヴェーサリーやヴァッジ国の村々をまわって、マツラ国のクシナーラで入滅されたとされている。

 お釈迦さまはベールヴァ村で雨期をすごされていた時に、アーナンダにこう語られた。
 「私はもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。たとえば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、おそらくは私の身体も革紐の助けによってもっているのだ」  (中村 元訳 ・大パリニッバーナ経)

 お釈迦さまは行く先々で在俗信者から歓迎され、食べ物の接待を受けられて、人々に人間の生きるべき道を説いておられる。そして、多くの修行僧には、戒律とは、精神統一とは、智慧とは、無上の解脱とは、と、法に関する講話をされた。
もろもろの事象は過ぎ去るものである

 お釈迦さまはアーナンダに、自分の死期が近づいたことを告げた。そして動揺するアーナンダに、このように告げられた。
 「今でも、また私の死後にでも、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」  (中村 元訳・大パリニッバーナ経)

 さらに、お釈迦さまはアーナンダに命じて、ヴェーサリーの近くに住するすべての修行僧を集めさせた。そして告げられた。
 「わが齢は熟した。わが余命はいくばくもない。汝らを捨てて、私は行くであろう。私は自己に帰依することをなしとげた。汝ら修行僧たちは、怠ることなく、よく気をつけて、よく戒めをたもて。その思いをよく定め統一して、おのが心をしっかりとまもれかし。この教説と戒律とにつとめはげむ人は、生まれをくりかえす輪廻をすてて、苦しみも終滅するであろう」
                        (中村 元訳・大パリニッバーナ経)

 ヴェーサリーに滞在されていた頃より、お釈迦さまは自分の死が近いことを感じられた。すなはち煩悩の滅除した涅槃(ニルヴァーナ)の境地にまもなく入るであろうことをさとられたのです。けれども、アーナンダや同行している修行僧らは、多くの人々の安楽のために、人々の幸福のために、お釈迦さまに寿命の有る限り、この世に留まってくださいと願われたのです。

 そこでお釈迦さまは、自分がいなくなると指導者がいなくなると思ってはいけないと、真理の教えである「法」と、実践のきまりである「律」とを規準として、それを指導者とみなしなさいと修行僧らに告げた。そして最後の教えとして「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠けることなく修行を完成しなさい」と告げられたのです。
涅槃の境地に入らしむ

 お釈迦さまはアーナンダや修行僧らとともに、マツラ国のパーヴァーにある鍛冶工の子、チュンダのマンゴーの林にとどまられた。お釈迦さまの説法を聞かれたチュンダは感激して喜び、お釈迦さまと同行の修行僧らを自分の家に招き、食事していただくことを願い出た。それで、お釈迦さまと修行僧らはチュンダの住居におもむかれた。

 チュンダはキノコ料理や美味しい食べ物をたくさん用意して、お釈迦さまや修行僧らをもてなしました。その時、キノコ料理を口にされたお釈迦さまは、「キノコ料理を私に、他の美味しい食べ物を修行僧にあげてください」と、そして「のこったキノコ料理を穴に埋めなさい」と、チュンダに言われた。

 お釈迦さまがチュンダのキノコ料理を食べられたとき、激しい下痢と痛みが起こった。死に至る苦痛をお釈迦さまは堪え忍ばれた。そしてチュンダがさしあげた食事がもとでお釈迦さまが亡くなったとなれば、チュンダは後悔するだろうと、そのような気づかいまでされていたのです。

 チュンダがさしあげたその食べ物によって、お釈迦さまは無上の完全なさとりを達成され、涅槃の境地に入られたから、チュンダは善き行いをしたのだ。チュンダにそのように告げることで、後悔の念を取り除いてあげねばならないと、お釈迦さまはアーナンダに言われた。チュンダに向けられたお釈迦さまの慈悲心について、「大パリニッパーナ経」はこのように伝えている。
あたかも燈火の消え失せるように、心が解脱したのである

 
体力の衰えたお釈迦さまは、木の下におかれた敷物に身をゆだねて、アーナンダに喉の渇きをいやす水を持ってくるようにと頼まれた。アーナンダは河の水を汲みに行ったのですが、ちょうど五百もの車が通った直後で、濁って飲める水がありません。それでもお釈迦さまは三度もアーナンダに水を持ってくるようにと言われた。アーナンダが河に行くと不思議なことにその河の水は澄んでいた。お釈迦さまはアーナンダが汲んできた、その水で喉の渇きをいやされた。このことが末期の水として伝えられたのです。

 スバッダという遍歴行者がクシナーラにいた。お釈迦さまがクシナーラに着いたとき、お釈迦さまがまもなく亡くなるであろうと聞いたスバッダは教えを説くことを求めてきた。お釈迦さまの衰弱された状況からアーナンダはスバッダの申し出を断ろうとしたのですが、お釈迦さまは今際(臨終)のきわにおいても、なお、スバッダに教えを説かれたのです。それで、かれは最後の直弟子となった。

 お釈迦さまはもう歩けなくなっておられた。アーナンダは、二本並んだ沙羅樹の間に床を敷いた。お釈迦さまは、頭を北に向けて、右脇を下につけて横たわり、足の上に足を重ねられた。これが北枕の言い伝えです。
 その時沙羅双樹が、まだ咲く時期でないのに満開となり、その花びらがお釈迦さまに降り注いだ。また天のマンダーラヴァ華も虚空から降ってきて、お釈迦さまに降り注いだと伝えられています。

 お釈迦さまのご命日は満月であった、その日は2月15日とされている。お釈迦さまのご遺体は7日後に火葬に付された。そして、ご遺骨は八つの国の王族のもとに分割され、それぞれがストウーパ(舎利塔)をつくり聖骨を納めた。残った灰と歯も、他の王族がストウーパをつくり納めた。こうしてお釈迦さまの最後の旅は終焉したのです。

命を、生ききる

 現代は情報が光のスピードで飛び交う時代ですが、インドから中国を経て日本へ、師から弟子へと、お釈迦さまの仏法は2500年に渡り受け継がれてきた。紀元前486年に亡くなられたとすれば、今年が仏紀では2579年ですから、二千五百回忌に当たります。

 お釈迦さまは2500年前に80歳の長寿を全うされた。お釈迦さまは命尽きる今際のきわまで、修行の日々を生ききることを身をもって教えられた。 日本は平均寿命が80歳を越える超高齢社会になりました。私たちは、今、”命を、生ききる” ために、お釈迦さまの生き方に学ばねばならない。


      243ページ
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