2012年4月1日 第159話

                送る心


  思うまじ 思うまじとは思えども 思い出しては 袖しぼるなり   良寛
 

葬式は単なる人生の通過儀礼でしょうか
 
 あるテレビ局が全国ネットで葬式は人生の通過儀礼であるという番組を報道しました。はたして葬式を成人式や結婚式と同じように人生の通過儀礼だと言いきれるでしょうか。
 日本人の宗教的風土は祖霊崇拝がもとになっていますから、古来より葬式は人という地位から祖霊という次の地位を獲得することを保障するものでした。すなわち葬式は人という地位に別れを告げる式であるとともに、祖霊となる旅の出発式です。

 社会的儀式として死者に別れを告げ、肉体を自然に帰し、魂を仏国土へ旅立たせる。古来より日本人の葬式は「魂の旅立ち、魂の再生の儀式」でした。この世から冥土への旅立ち、それは人間の位から先祖霊となる旅立ちを意味します。お葬式の後に中陰の 49日、百箇日そして年回法事へとつながっていく祖霊まつりの始まりが葬式です。

 葬式の準備は旅立ちのための用具をそろえ、旅立ちの場をつくることです。そして葬式の後は四十九日間にわたり黄泉路の安寧を祈り供養を続けます。その間に遺族の心もしだいに癒され、落ち着きを取り戻していきます。
 単に通過儀礼だからと、家族や知人が別れを告げて荼毘に付す、ただそれだけであれば、日本人の宗教的風土である祖霊崇拝の第一歩である、送るという意味がまったく抜け落ちてしまいます。安楽浄土に導く、僧侶の姿もありません。

 古代より先祖霊(祖神)をまつることを日本人は宗教としてきました。そして人の生き方を説く仏教が伝来してからは、祖霊崇拝と仏教とが合わさったものへと次第に変貌していきます。お釈迦さまの教えがアジアの各地に伝わっていくと、それぞれの地域の習俗や宗教と混ざり合って、さまざまな信仰形態ができあがっていったのと同様のことです。
 弔いの儀礼も、日本人の宗教的風土である祖霊崇拝と仏教とが、さらには儒教が合わさったかたちのものとなり、江戸時代になると葬式に僧侶が関わるようになりました。

今生の仏の弔いは、祖霊の仏となる出発式

 葬式は魂の旅立ち、魂の再生の儀式で、迷いの人間を、さとりの仏に導き、安楽浄土へ送ることを基本にします。煩悩を積み重ねてきたおろかな自分に気づき(懺悔)、人間的煩悩をよりどころとして生きてきた自己から、宇宙的真理(仏法)におまかせして生きる自己への転換(受戒)がまず前提になります。したがって、死んでしまってからの導きがなされるのではありません、生前からの仏教帰依者としての連続線上に葬式があります。しかしほとんどの人が生きている間に受戒していないので、戒名は本来生前に仏教帰依者が授かるものですが、その機会にめぐり合えなかったから、葬式の中で授かります。

 凡夫がこの世で仏となり、僧侶の引導で送られて、この世からあの世へとぶっつづきの仏という祖霊になる。すなわち葬式とは単なる人生の通過儀礼でなく、人間的煩悩を解脱した今生の仏の弔いであり、家族や子孫を見守るあの世の仏、祖霊の仏となる出発式でもあります。

 近年になって葬儀業者が葬式のすべてを業務として請負うようになると、野辺送りの葬式でなくなり、故人との別れを告げる式として演出され、告別式という表現が一般化しました。それにともない葬式は「別れを告げる式」であると理解する人が多くなりました。
 最近の風潮として、葬式を先祖祭りにつながっていく儀礼であると解釈していないから「葬式は必要か」「何のために葬式をするのか」などの議論が起こるようになりました。 

 もともと葬式は村社会の儀式行事であり、その弔いごとは一族の長老が、または隣組の長が葬儀委員長となって野辺の送りが営まれてきました。したがって家族が死んだときには、葬式のすべてをその地域の相互扶助システムにゆだねればよかったのです。
 葬儀業者にまかせっきりにしないで、感謝の思いと真心をこめて尽くし、死の重み、生の重みが感じられる送る式としたいものです。

ミタマというホトケ

 人の死、それが身近な人である場合は、悲嘆、落胆は大きいでしょう。その程度は深く、長く続きます、場合によってはそのショックから立ち直れずに、自分の命をちぢめてしまう人もいるようです。日本人は欧米人と比べると、この悲嘆からの回復の程度が早いといわれています。死別しても葬式から四十九日間の中陰や百箇日、一周忌と続く追善供養(生者の善行の報いを亡者に手向ける)をとおして、死者は永遠に消滅するのでなく、ホトケとしてまつられ、いつも生者とともにあるということになります。

 葬式において僧侶は、死者を仏の子として涅槃(悟りの境地)へと導きます。そして、中陰、百箇日、一周忌と供養を重ね、ホトケとして寂静平安の境地に入っていただきます。 しかし亡き人は遠いところへ行ってしまうのではなく、家の中に仏壇を設けて位牌をまつります。墓地には墓石を建てるから、寂しい時、悲しい時には日常的に仏壇に向かって語りかけ、また墓に参ることによって亡き人(ホトケ)との対話ができる。日本人はこのようにして、亡き人や祖霊と日常に共生きをしています。

 仏教では四十九日の中陰(中有)の期間をもって人の一生の終わりとします。最近は中陰(中有)の期間を短くする傾向が見られますが、その人の一生を短くしてしまうことになります。悩み苦しみながら死んだ人や、子供の死、突然の死、事故死の場合は、中陰の期間がとても大切ですから、三ヶ月にまたがろうが全く問題はありませんから短縮しないようにしたいものです。遺族は中陰のつとめに忙殺されているうちに、悲嘆に打ちのめされることもなく、時が過ぎていくのでしょう。
 
 葬式は死者がその祖霊となる出発式であり、四十九日間にわたる追善供養がなされて、死者は冥土に至り成仏して祖霊となる。古来より日本人は死後に成仏して、子孫に尊敬される祖霊となることを願いとしてきました。四十九日を経て死者の魂は「おやま」におもむき、ご先祖さま、すなわち祖霊(祖神)となる。その「おやま」から、正月には歳神さまとして迎えて祝い、盆には精霊として迎えて供養します。
 
その人の生きざまが、そのまま自分の葬式を演出していることになる    

 ご先祖さま(祖霊・祖神)は私たちの命の源です。命が途切れることなく受け継がれてきたからこの世に自分が生まれてきたのです。毎朝、一本の線香をまっすぐ立てて、仏壇の本尊仏と位牌のホトケに手を合わせ祈る。亡き人を偲びまた感謝するとき、今の自分をふり返り向上しようとする心がうまれてきます。

 道元禅師は「菩提心を発すは無常を観ずる心なり」と説かれました。無常を観じることで、菩提心(仏になろうとする心、仏の生き方を実践する心)が自然に生まれます。仏と共に生きる、この喜びを感じることで自らの心の仏も目覚めるでしょう。つらく悲し別れであっても、それを乗り越えていけば、かならず明日への生きる喜びにつながります。その向こうには幸せが見えてくるはずです。

 最近の傾向として、葬式が日本人の祖霊崇拝の初めの第一歩にあたると理解されずに、「別れを告げる式」だと解釈されているから、お葬式も戒名も不要だと自分の死後の取り扱いを書き残す人がいます。しかし、こうした自分の死後の取り扱いのことよりも、自分なき後も祖霊(祖神)に加護されることで、家族や子孫が日常の安心を得るのだという日本人の祖霊崇拝にもとずく生き方について再認識すべきです。

 お釈迦さまは霊魂や死後の世界について、何も語らなかったそうです。ただ、この世の生き方こそが大切であると説かれた。お釈迦さまはご自分の弔いのことも語られなかった、けれども弟子達や多くの人々によって盛大な葬式がなされたと伝えられています。
 生前の生き方がどのようであったのか、人々に尊敬される人は、教えを受けた人々、お世話になった人々によって、感謝と恩返しの思いから鄭重に弔われる。どのような生き方をしたのか、その人の生きざまがそのまま自分の葬式を演出していることになるのかもしれません。
                          
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