2012年3月1日 第158話
            悲しみを乗り越えて
 
   「仏々祖々、まず誓願をおこして衆生を済度し、
   しこうして苦を抜き楽を与える、すなはち家風なり」  道元禅師
      

出会いは別れの始まりというけれど

 東日本大震災からまたたくまに一年がたちました。震災で多くの方々が亡くなられました、津波で命を失われた人々との悲しい別れは一年たっても癒えないでしょう。
 でも被災地では少しずつではありますが明るさを取り戻して、復興の動きがみられるようになりました。しかし原発の放射能汚染についてはなかなか先行きが見えてきません。また放射能汚染で避難を余儀なくされた多くの方々が各地に移動されて、今も別れ別れに暮らしておられる、一年たっても故郷に帰れないという、悲しい現実が今もなを続いています。

 突然の震災は人々の人生を大きく変えてしまいました。この一年いっぱい涙して辛く悲しいことに耐えてこられました。そして悲しい別れを乗り越えて明日あることを信じて、復興に向けて人々は歩き始めておられる。悲しい別れがいっぱいありますが、一方では絆という心の結びつきによって、被災地ではさまざまな人との出会いが生まれました。

 人はだれでも一生の間に、さまざまな出会いがあります。恋人や生涯の伴侶との出会い、親友との出会い、先生や師匠との出会いなどです。でも出会いは人だけではありません、学問との出会い、技術との出会い、職業との出会い、犬や猫との出会いも、また印象深い自然との出会い、これも出会いと言えるでしょう。このようにさまざまな出会いがありますが、やはり人との出会いには衝撃と驚きと感動があります。

 出会いは楽しいものです、出会いがあるから人生は楽しい、その人にとって、とりわけ大切な出会いであればあるほど、自分の人生を大きく変えることになる。されど出会いはかならず別れがともないます。3月は別れの月かもしれません、卒業や転勤などで、親しき人や同僚、友達との数多くの別れがあるでしょう。出会いはまた別れの始まりです。
 この世に生を受けたものは、しっかりと地に足を着けて、どんな難局にあっても生きぬかねばなりません
 
 出会いは別れの始まりかもしれません、出会いの時すでに別れが予定されているのでしょう。だから出会いの数だけ別れがある、そのようにいえないこともないでしょう。さまざまな別れのなかで死別ほど辛く悲しいものはありません。とりわけ大切な人との死別は悲嘆に明け暮れしてしまうでしょう。

 でも、その悲しさの現実を受けとめて、それを乗り越えて生きていかねばならないのです。どのように乗り越えていくか、それがその人の明日への幸せや生きる喜びにつながります。別れがどんなに辛く悲しいものであっても、それを乗り越えていけば、その向こうには必ず幸せが見えてくるはずです。

 悲しみを乗り越えていく第一歩は、辛く悲しいけれど、その別れの現実を受け入れなければなりません。この地球に生きていこうとするならば、天変地異のおこることを宿命として享受しなければ生きていけません。東日本大震災のような大自然の気まぐれによる悲しい別れを受け入れざるをえません。

 されど天変地異もさることながら、死別にはさまざまあります、病魔が突然襲ってくること、事故や事件に遭遇することなど人災によるもの、耐え難い悩み苦しみから逃れようとして自死してしまうなど、その死が不条理なものであればあるほど、その死の現実は認めがたく、容易にその死を受けいれられないものです。そして親が子を亡くすほど深く悲しいものはないでしょう。
涙を流して泣けるから、すくわれる

 大切な人を失って、泣き続けられたらよいのですが、涙が続いて出てくれません。涙は潤滑油みたいなもので、涙が出なくなると泣き止みます。また思い出しては涙します。悲しい時にはうんと泣くことです。人前では涙しないとか、子供の前で親は泣かないとか、そういうことでしたら、こっそりと泣けばよい、泣くことは自分自身の癒しになります。
 
 涙には「癒し効果」があるので、悲しくなれば泣けばいい、とりわけ大切な人との死別の悲しみには、いっぱい涙して泣くことです。嘆き悲しみ、涙も枯れ果てるほどに泣くと、悲嘆の気持ちも緩和されるでしょう。泣けば気分もすっきりする。泣きの涙が笑いの涙に変われば、しめたものです。泣くことによって悲しいことや辛いことにも耐えて、乗り越えていける、そして生きていく勇気と希望がわいてくる。涙とともに悲しみとつらい過去を捨て去りましょう。
           
 人は、悲しいときも、嬉しいときも、涙を流します。涙とは目の涙腺から出る液ですが、目の表面に潤いを与え、角膜に酸素や栄養を供給し、細菌などの感染を防いでいます。涙には「癒し効果」があります。涙を流して泣くことで、ストレス状態が解消され、リラックスした状態になります。逆に、涙をこらえるのは緊張状態を長引かせ、ストレスを蓄積することになるから、健康によくない。だから、泣きたいときは、いっぱい涙を流して泣くことです。

 泣くときに出る涙は、身体にとって余計なものを排出し、正常に整える働きがあるから、つらく悲しいときには泣けばいい。涙は心の中に生じてくるごみを洗い流してくれます。健康にいい涙なら流すべきです、泣きたくなったときは、我慢しないで思いっきり泣くことです。
やさしさとは何なんだろう
 
 やさしい心、やさしさとは何なんだろう、何となくわかっているつもりでも、はっきりと説明ができません。そして、やさしさの心で行動することはもっと難しいことかも知れません。いっぱい涙してもう泣くのをやめようと思ったら、辛く悲しいことを乗り越えられる。難局にも向かっていく力もついてくる、それとともに、やさしさの心も身についてくるでしょう。

 人は生まれながらに無量の慈しみの心を具えています、あわれみとやさしさの心、それは慈悲心です。慈悲心があるから人は救われる、慈悲心があるから他を救うことができる。幸せにしてあげたいと願う心を慈心、苦しみや悲しみを無くしてあげようと願う心が悲心です。うれしいとき、楽しいときに、ともに喜び、悲しいとき、つらいとき、ともに涙するやさしい心が慈悲心です。

 人間という字はどうして人と間と書いて、人間というのでしょうか。人間は、人間中心的に、そして自己中心的になりがちです。しかし感情があり、思いやりのある行動ができるのも、人間らしいところです。人間中心、自己中心ではいけないと認識できるのも人間です。人間という言葉の意味は、人の住むところ、世の中、世間です。この意味を、特によく理解しておくことが大切なようです。
 人は一人では生きられないことから、互いに支えあって人間社会はかたちづくられています。人情、すなわち、思いやり、愛情、なさけは、人々の精神的な信頼の絆であり、相互扶助の基本です。

 慈悲とは、他者に利益や安楽を与えるいつくしみの心(慈心)と、他者の苦に同情して救おうとする思いやりの心(悲心)をいいます。この抜苦与楽の心は大慈大悲の心であり理想的人間像である菩薩の心とされています。被災地を救い復興するのも大慈大悲の心です。だれでも心の底には、やさしさと思いやりの気持ち(慈悲心)を宿しています、これを人間の本性、人間らしさというのでしょう。表面上は人間中心的な行動をして、自己中心的な生き方をしているようだけれど、心の奥深くには慈悲心がいっぱいです。人と間と書いて人間という、その間とは、人間らしさの大慈大悲の心をいうのでしょう。
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