2011年10月1日  第153話
        優曇華(うどんげ)  
世尊(せそん)霊鷲山(りょうじゅせん)で、百万衆(ひゃくまんしゅう)の前で優曇華(うどんげ)(ねん)じて瞬目(しゅんもく)された。
その時、摩訶迦葉(まかかしょう)ひとりが破顔微笑(はがんみしょう)した。
世尊(せそん)迦葉(かしょう)に「私に正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)涅槃妙心(ねはんみょうしん)がある、それは実相(じっそう)にして無相(むそう)であり、微妙(みみょう)の法である。したがって不立文字(ふりゅうもんじ)教外別伝(きょうげべつでん)である。この法を(なんじ)にさずく」
と述べられた。 
                           「正法眼蔵・優曇華
     

拈華微笑(ねんげみしょう)

 お釈迦さまが霊鷲山で、多くの人々の前で優曇華を手にして瞬かれた。その時、だれもが沈黙しているなかで、摩訶迦葉さまだけがにっこり笑って、座をたって合掌された。お釈迦さまは摩訶迦葉さまに 「私に正法眼蔵涅槃妙心がある、それは実相にして無相であり、微妙の法である。したがって不立文字教外別伝である。この法を汝にさずく」 と述べられた。

 微妙の法とは文字や教えを超えたもので、形なきものであるが真実そのものです。
お釈迦さまの拈華(優曇華を手にして瞬かれた)に迦葉さまが微笑した、その時、
微妙の法をお釈迦さまから迦葉さまがうけつがれた。お釈迦さまが菩提樹下で成道(悟りの完成)された、その微妙の法が、そっくりそのまま迦葉さまに伝わったということです。

 お釈迦さまは明けの明星の輝きとともに菩提樹のもとで悟りをひらかれた。明星に向かって瞬かれた時 「我と大地と有情と同時に現成す、山川草木悉皆成仏」 と、心の中で叫ばれた。お釈迦さまが明けの明星に瞬かれたのも拈華で、お釈迦さまが百万衆に向かって瞬かれたのも拈華であり、摩訶迦葉さまが破顔微笑されたのも拈華です。

 お釈迦さまの拈華に摩訶迦葉さまが破顔微笑されたことを、拈華微笑という。拈華とは、華を拈(ひね)るということですが、華を拈るということの言葉にこだわらず、華でも仏でも、身でも心でも、さまざまにいいかえてさしつかえない。山河大地、日月風雨、さらには人畜草木にいたるまで、この世にあって生まれたり死んだりしている実態そのものが拈華であり、眼前のことごとくに真実の姿が露わになっている、そのことに気づくことも拈華です。


一華開五葉(いっけかいごよう)結果自然成(けっかじねんじょう)

 お釈迦さまが迦葉さまにさずけられたものは 「実相無相、微妙法、不立文字、教外別伝」 で、文字や教えを超えて伝わる真実そのもので、形のない微妙の法です。これが微妙の法であり、悟りとはこれであると、目でみたり手にとって確認できるものではない。お釈迦さまの御手のなかで、華が自然に開いたといっても、そこには命がけの修行がともなう。

 人は生まれながらに仏であるというけれど、日々の生き方、修行によって仏性が露わになり、慈悲心があふれ出るというものです。
修証一如ですから、修行が悟りであり、悟りは修行そのものです。命がけの修行のもとに、自己の仏性がはじけて慈悲心が世に広く拈華する。

 参禅して仏法を究められたことが、次のような諸師の話として伝わっています。
如淨禅師は、全身が自己(仏)で全体(仏)に掛って妙音(法)を発っすと風鈴を頌えた。
霊雲禅師は、桃の花が咲き乱れているのを見て、眼の玉がはじけて得悟された。
香厳禅師は、小石が竹にあたる音を聞いて、耳の穴がつぶれて悟道明心された。
二祖慧可禅師は、腰まで雪にうずまり、己の臂を断って道心をあらわし、九年間の修行の後に達磨さまに礼拝して師の髄を得た。
六祖慧能禅師は、碓で米をついて白くし、夜半に五祖弘忍禅師の衣鉢をつがれた。

 優曇華という花は三千年に一度開花するといわれるところから、「めったにない」ということです。お釈迦さまが拈られた優曇華は、お釈迦さまご一代に説かれたさまざまな教えそのものです。そして迦葉さまが微笑した拈華はそのままに、さまざまな教典や賢者や菩薩となって、二千五百年経る今日に至るまで拈華している。

僧朝顔 幾死に返る 法の松

「古池や蛙飛び込む水の音」 松尾芭蕉が滋賀県にある岩間寺を訪れた時のことです。古池で、小さな生きものである蛙が、大宇宙の静寂を破る衝撃の音を発した。静けさの中に溶け込んでしまった自分に気づいたというよりも、浮き世の波にのまれて、自分自身を見失ってしまうところを、蛙の発した音が、芭蕉の耳を破ったのです。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」 山形県の立石寺でよんだ。蝉時雨につつまれた静かな山中で、我を忘れて蝉の声に聞きほれていたというのではない。命の限りに鳴く蝉の声、その生き生きとした生命の躍動に感動した。あたかも山寺で八万四千の教典が読まれているかのように、仏の声と聞いた。
 
「野ざらしを心に風の沁む身かな」 どこで行き倒れるかわからない、骨を野辺にさらす覚悟をしての旅であるが、風の冷たさがこたえる。
「死にもせぬ旅寝の果よ秋の暮れ」 ふと寂しさを感じることもあったようです。
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」 旅に果てた俳聖芭蕉の辞世の句です。

「僧朝顔幾死に返る法の松」 朝顔が何度も死と生を繰り返すように、この寺の僧も入れ替わるけれど、仏法は千年生きる松のように変わらない。命は生まれて死んでいく、また命は生死を繰り返して受け継がれていく。時も移っていく、この世とはそういうところ。けれども、いずれの世においても変わらないのが仏法すなわち微妙の法です。

真実に目覚めようとする生き方を最高の喜びとしたいものです

 お釈迦さまの微妙の法は2500年の時を超えて、諸師によって受け嗣がれてきました。そっくりそのまま、一器の水を一器に移すがごとく受け嗣がれてきたから、正伝の仏法という。ところが、正伝の仏法れず途切れてしまったり、拈華の仏法とは言い難いものが巷にあふれていることは嘆かわしい。

 芭蕉の句は300年を経てもなを新鮮である。芭蕉は俳諧にありがちな滑稽な文字遊びを楽しみ競うこともなく、生死と向き合い、蕉風とよばれる芸術性の高い句風を確立した。俳聖芭蕉の句は、真実を求め、生き死にをよんだものであったからこそ、時代を経ても、人々の心の琴線をふるわす。

 仏法すなわち微妙の法は、この世のことごとくに通じるから万法である。どんな職業、どんな分野であろうが、それぞれにおいて、ものごとの本質というものがある。日々の生き方を命がけの修行と心得て、ものの本質を求め続けようという心を保ち、しっかりと全身で本質を体得していけは、何ごとにおいても真実に通じるものです。

 本当の幸せを望むならば、どんな職業、どんな分野であろうが、ものごとの本質を求め続け、悩み苦しみながらも、真実を体得することに楽しみを見出したい。ものごとの本質を求め、真実を体得するとは、万法である微妙の法に目覚めることに通じます。
微妙の法は形なき真実で、文字や教えを超えたものだから、全身で体得すべきです。僧であろうが俗人であろうが、この世の真実である微妙の法に目覚めようとする生き方を最高の喜びとしたいものです。

戻る