2011年6月1日  第149話
        無心
     花は無心にして蝶を招き 蝶は無心にして花を尋ぬ
     花開く時、蝶来り 蝶来る時 花開く
     吾れも亦 人を知らず 人も亦 吾を知らず
     知らずとも 帝則に従う               良寛
 

この世に生きているものは、みな、この世に必要だから生まれてきた


 46億年という長い地球の歴史は人間の理解能力を超えたものですが、地震や津波をともなう地殻変動がくりかえされて現在の地形ができてきました。そして1億年前の隕石の衝突が生命誕生の起源だとする説もありますが、地球上のいろいろな出来事によって、さまざまな生きものが生まれ、多種多様な生命がこの世に存在しています。

 さまざまな生きものの命は親から子につながらなければ途絶えてしまうから、生命が連続するためには、それぞれの命が受け継がれていかなければなりません。親の存在は子が生まれる原因として必要であり、その結果として子が生まれます。どんな命もこの世に必要だから受け継がれていくのでしょう、その存在が不要であれば、自ずと消滅していくはずです。

 自分など生きている意味がない、生きている価値もない、だれも自分の存在など必要としていない、などと思いこんでいる人もあるようですが、はたしてそうでしょうか。どんな生きものでもこの世に必要だから生まれてきた、必要でないモノは生まれてこなかったはずです。必要だからこそ今、生きています、他の何かにとって必要だから生かされています。だから、どんな苦難に直面しても、生まれてきたからには生きぬかねばなりません。

 ものごとの判断として、これは必要でありこれは必要でないと、ことごとくを要不要で決められるでしょうか。この世の中に存在するもので、一つとして単独で存在できるものはないはずです。不要であるとしても、それがどこかで、何かのために必要であるということもありうるのです。一木一草も、足もとにころがっている石ころだって、他のものと何らかのつながりがあって存在しているから、不要なモノのようであっても、そうではない。

お互いに必要とされている、お互いを必要としている

 ちいさな町工場で作られる部品が宇宙産業の一翼をになっている、必要な部品の供給がなければ人工衛星は製作できない。東日本大震災で多くの企業が被災しました、そのために日本国内のみならず世界各地の企業に影響が出ました。ある部品、ある製品が揃わないために工場の生産が進まないなど、この世の中は何かがどこかでつながっています。お互いに必要とされており、お互いを必要としています。だから震災でその供給が止まったからと、他に振り替えられて受注が戻らなければ、被災地の企業はこの先深刻なことになります。

 リストラという言葉をよく聞きますが、事業方針の変更で人員の整理をするとか、必要以上の人件費をかけないために、人がコストという扱いのもとに切り捨てられる。今、これが必要であり、これは不要である、このように区別することは何ごとにおいてもよくあることです。ところが不要なモノというけれど、他では必要であったり、今でなくとも先々で必要になったりすることもよくあることです。

 植物の成長には窒素・リン酸・カリという肥料が欠かせない。むろん太陽光と炭酸ガスと水がなければ植物の光合成は成立せず、それによる酸素も生まれない。酸素がなければ人間や動物のほとんどが生きられない。呼吸というかたちで、空気中の酸素を体内に取り込んで、炭酸ガスを吐き出す、それがまた植物の光合成につながる。ものごとのすべてが関係しており、互いの存在なしには、どんなものもこの世では存在できない。

 さまざまな命は、互いに何らかの関係をもつことで生きていける。生きとし生ける命は、お互いに生かしあっている。どんな命も欠くべからざる存在であり、どれ一つが欠けても他を生かせない、他が成りたたない。この世の中のすべてのものは、どこかでつながって、関係しあって存在しています。

何が必要で、何を必要としているのでしょう

 原子力発電所の事故は、震災が原因であるとしても、技術を過信した人間の愚かな行動が引き起こした人災でしょう。低コストで、環境にも悪影響がない夢のエネルギーだというふれこみで原発が国策ですすめられたが、自然界には存在しない不必要な物質を人為的に生み出し、それが死の灰となって環境を破壊し生命に甚大な悪影響を与えています。原発とは要不要の諸刃の剣のようなもので、壊れやすい危ういものです。

 原発はほんとうに必要とされるモノでしょうか。人間の技術力の蓄積において作られたモノであるから、技術力を高めていけば弊害はすべて克服できるという考え方もあるようですが、それが危険です。根本的に間違った土台に人間の知識能力でものごとを構築しようとしても、いつかは壊れてしまう。また技術力で立て直して改良して技術で問題をクリアすれば、よりすぐれた成果を得ることができるという幻想に陥ってしまうのも、人間の浅はかな性というほかないでしょう。

 高齢化が進むと介護が不可欠となり、介護施設や介護にたずさわる人の存在や、介護を可能にする介護用品などが必要となる。必要とされ、求められるところに需要は生まれる。 あの時その人に出会わなければ、巡り会いがなかったら、今の私はない、そういう劇的な出会い、その人との巡り会いが自分の人生を変えた、これも必要とされること、必要とすること、そういう関係でしょう。

 職を求めても採用されない、余分の人材は要らないと解雇される、それを世の中が不景気だからとか、原因を世の中のせいにしてしまえば一歩も踏み出せなくなるでしょう。そうではなく、世の中では今、何を必要としているのか、必要とされるけれど今すぐにではなく、そのうち必要とされるであろうことなど、世の中で必要なことをしっかりと自分で見つけだせれば、それが仕事になり、生きていけるはずです。また必要とされる人格、必要とする能力をそなえた人ならば、世の中は必ずその人を必要とするでしょう。

他を生かし、他に生かされて

 虫媒花の植物は、昆虫によって花粉が運ばれ実を結びます。「花は無心にして蝶を招き 蝶は無心にして花を尋ぬ、花開く時、蝶来り 蝶来る時 花開く」とは良寛さんの言葉です。
花には蝶を招く心はなさそうです、蝶にも花を尋ねようとする心が働いているようにもみえないが、花が咲くと蝶は飛んでくる、蝶が飛んでくるところに花が咲いている。花につく蝶は無心にして損得勘定がないから、味わいのみ取りて色香を損なうことはありません。

 だれもがこの世に必要だから生まれてきた、そしてお互いを必要とするから生きていける。しかし最近は、人と人との絆が弱くなったようです。現代人はプライド、プライバシーの権利、プライベートな問題などと、ことさらに自己主張するけれど、自分が生きるためには他が必要です。他というのは一つや二つでなく、さまざまというべきか、すべてというべきか、人のみならず、万物の存在に支えられて自己が成りたっています。「私は他の人を知らない、他の人も私を知らない、知らずとも自然の大道に従って生きて行く」良寛さんの言葉です。

 他を生かさずして自己は生きていけない、自分のためにという生き方が、そのままに他のためにということでなければ自己は生きられない、これは自然の大道であり大原則です。本来は自他の区別などありえない、自他一如で利己はそのまま利他であり、利他がそのまま利己です。東日本大震災の被災地の人々の悲しみは、そのまま万民の悲しみです。

 自他にこだわらない生き方とは、うばいとり、つかみとる手を、与えようささげようの手に変えていこうと心がけ、行動することで、そうすれば自他一如の世界で生きられる。自他一如の心を良寛さんは無心と言われた、自他一如の行動を道元禅師は同事と教えられました。
 「花は無心にして蝶を招き 蝶は無心にして花を尋ぬ」「私は他の人を知らない、他の人も私を知らない、知らずとも自然の大道に従って生きて行く」 無心に生きられれば、それほど楽しい生き方はないでしょう。


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