2011年5月1日  第148話
        嗚呼哀哉(ああかなしいかな)

 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ
                                        「スッタニパータ」
 

千辛万苦(せんしんばんく)


 東日本大震災の被災地にも、花々が咲いて木々が芽生えました。東北新幹線も全線で運行され、震災から少しづつですが復興の歩みが見られるようになりました。この地方には太古から地震や大津波は何度もあったから、備えはされていたのですが、このたびの地震と津波は過去の記録にないほど大きなものでした。2万6千人を超える人々が犠牲になられ、今なお1万2千人以上の行方がわからない、悲しいことです。

 生きてるだけでまるもうけと、大震災の直後にそう実感された人も多いようですが、ひと月、ふた月と経過するにつれて、人々の思いも変わっていきます。住むところがなく、仕事もなく、健康も心配で、先行きの見通しが立たないことが不安をさらに大きくしています。放射能汚染で強制退去避難させられている警戒区域内の住民は、なぜこんなに何重もの苦しみを受けなければならないのでしょう、本当にお気の毒なことです。

 地震で原子力発電所は壊れないだろうか、津波に破壊される恐れはないのだろうか、原発のある地域の人々は心配です。福島原発も耐震安全設計、多重防衛されているから、地震があると原発は自動的に止まり、安全装置が働き、危険状態を避けられるはずでした。技術的に高度であるから事故は起こりえないし、起こったとしても安全装置が働き危機的状況に陥らないといわれてきました。

 住宅や構造物が地震で倒壊して、津波で流されたけれど、二次的被害が周辺におよぶことはありません。たとえあっても、有害物質の除去は可能ですが、目に見えない放射能物質は除去が難しいようです。のみならず、広範囲にしかも長期にわたり放射能汚染がつづくから、ことは深刻です。したがって原発や原子力施設の存在が問題視されるのは当然のことです。

土崩瓦解(どほうがかい)

 日本は地震列島であるが国内に54基もの原発がある。もしも大地震が起こったら、深刻な事態が生じる可能性があると指摘されていた。事故が発生すればバックアップ電源が必要となるが、外部からの電力は地震で断たれ、自前の発電装置も壊れて、深刻な状況に至った、まさに土崩瓦解恐れていたことが起こりました。

 平素から安全保守を厳格におこなうよう、検査体制が発動されていたのでしょうか。原子力の専門家でない異部門の人が担当官であったとか、検査機関も電力会社も官僚の天下り先で、第三者的機関としての検査体制がとられていなかったとか、巷ではいわれています。
 身の危険を承知で現場の作業に当たっておられる作業員の方々でも、長年の経験を積んでたたき上げた現場のわかる老練な技術者がいなくなってきて、机上の論理やマニュアルを重視するあまりに、かえって事故対応が万全でないようです。

 放射能汚染は目に見えない恐怖です、長期にわたりその被害は深刻です。土壌や海水を汚染して、蓄積されて生命の危険をもたらし続けるという。原子力の安全信頼性はやはり危ういものであって、事故が起こると大変な影響を多方面に及ぼすことが証明されました。
 核燃料の動きは緊急停止装置が働いて止まったけれど、高温の炉心融解が進行していたのです。冷却水が送れず放射能汚染水が海に流れ出たり、空気中に浮遊した。放射能の恐ろしさを一番体験している唯一の被爆国なのに、安全の過信があったのではないでしょうか。

 日本と世界の未来のありようを示すのが政治家のつとめですが、政治と金の問題論争に明け暮れ政争ばかりを繰り返している。原子力ビジネスをめぐって、官僚・政治家・企業の利権争奪があるという。のみならず、震災復興は政治の総力をあげて取り組むべきところが、あいかわらず政治家同士のなじりあい、責任のなすりあいばかりです。大地を浄めて、その大地の守り神に奉納する相撲さえも、賭け事や八百長に明け暮れているから、大地の神様が怒り出したのかもしれません。天地自然に対する畏敬の念を忘れてはいけない。

危如累卵(あやうきことるいらんのごとし)

 原子力発電は経費がかからず、CO2を排出しないから地球温暖化につながらないクリーンなエネルギー源であるといわれて、国策として各地に原発が設けられました。ところが地球の生命環境にとって最悪の事態をまねくことが、このたびのことでわかりました。CO2は排出されないけれど、ウラン採掘や使用済み燃料の貯蔵管理に大量のエネルギーを必要とする。なによりも発電過程で放射性廃物(死の灰)が生まれることが問題であり、事故が起これば重大な放射能汚染をまねきます。

 原発で発生させる熱量の3分の1が発電に使われるが、残りの3分の2のエネルギーは捨てられる。発電の過程で原子炉を冷却するために大量の水が必要となり、それらは温排水として海に捨てられる。原発は核分裂現象を起こしているために、これを停止させると危険な状態になる。これほどまでに原発は危いこと累卵如しであることは知らされていなかったけれど、この事故で万民が知るところとなった。

 放射能物質の拡散予測とか、詳細な情報が流されないから心理的な不安や風評が一人歩きしています。天気予報のように今どの地域にはどのような放射性物質が拡散していて、安全なのか危険なのか、インターネットで天気図や雲の動きを確認できるようになぜできないのでしょう。避難勧告で強制的に住み慣れた自宅を追い出され、仕事の場を奪われた人々にとって、先行きの見えないことこそが深刻な悩みです。人のみならず、飼われていた動物も、さまざまな生きものも犠牲となりました。

 世界各地でエネルギー不足を補うために原発建設の計画がある。原発設備の販売はビックビジネスであることから、先進諸国は競って新たな原発施設を世界中に売り込んでいます。日本では太陽光発電や他のクリーンなエネルギー発電によるよりも、原発を増設していくことを国の政策としてきたから、原発を優先するあまりに、民間の発電事業を抑制してきました。原発建設には莫大な地域協力金が支払われ、利権を争いお金が動きます。原発はCO2を排出しないから地球温暖化にならないクリーンなエネルギー源で、コストが安く、安全であるというのは嘘だったのです。

禍福無門(かふくむもん)

 被災地の小さな町工場で作られている部品の一つが抜け落ちたら、外国にある企業までも生産ラインが止まるという。いかに世界がつながっているか、そして、日本の高い技術力が再評価されたが、こうした企業が活動停止をよぎなくされるという事態はさけたいものです。
 農業も漁業も予期せぬ自然災害ですから、行政の援助があれば復興は速いでしょう。不屈の精神と互いの連帯のもと、復興に、そして創造に日本人は果敢に立ち向かっていきます。

 災害による損失は同程度以上の需要を生みます。農業が塩害や放射能汚染で農地の利用が制約されるのであれば、農業の集約的転換をはかり、漁業でも協業化や放射能の海洋汚染で、近海の鮮魚を捕る漁業が当分できないのであれば、漁業資源や立地を活用した、新しいビジネスを生み出すことも可能かもしれません。
 原発の放射能漏れの対策と被災地の復興がどのように進むのか、世界中が注目しています。また東京が電力不足になって、一極集中の弱点があらわになったことから、首都機能の分散が望まれるようです。

 原発はクリーンエネルギーだといわれる一方で、核分裂反応で恐ろしい放射能のごみを大量に生み出すから、原子力発電を縮小すべきです。火力発電の燃焼資源は有限であるから、太陽光、風力、波力、地熱などの自然エネルギーを利用する低エネルギー社会をめざすべきでしょう。そして禍福無門すなわち、幸せも不幸も通る道や門があるわけではない、日本人のモノづくりの精神と技術力で、生きとし生ける、すべての生きものにやさしい、新エネルギーを開発すべきです。そして省エネと自家発電などの分散型エネルギー確保にもつとめなければならないでしょう。

 被災地も過疎と高齢化が進む地域が多いから、職と福祉の両方が成りたつ地域つくり、広域の思い切った土地の再編利用をすすめるべきです。元に復興するということも必要ですが、創造ということがまず前提であるべきです。創造することをしなければそれは人間の営みではない。高度に成熟した日本という国が未来の展望というか、人類の未来像に関わる提案を世界にしていく、日本人の能力が今、試されている。震災の復興は、人にも自然にもやさしい未来型都市と未来型産業に転換していくチャンスでもあります。被災地の人々が、一切の生きとし生けるものが、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれと祈りましょう

● 義援金にご協力ください   SVAシャンティ国際ボランティア会

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