2010年 1月  第132話
           朝朝日東出 
       朝々日は東より出で、夜々月は西に沈む 
                                 道元禅師
                                        

初日の光さし出でて、四方よもに輝く今朝の空

 「あけましておめでとうございます」年頭に交わす言葉の、なんとすがすがしいことでしょう。新しい年を迎えて身も心も新たにして、この一年、お互いに幸せであれと願う、そんな思いを伝え合う言葉です。元旦とは元日の朝のことですから、新年は初日の出から始まります。初日の出を仰ぎ見て人々はこの一年の始まりに心を新たにします。

 過ぎ去ったこの一年の暮らしがきびしかったこと、悲しいこと苦しいこと、いろいろあったことも、日本人は、除夜の鐘を聞きながら過ぎし一年の禊ぎをします。からだについている罪やけがれを洗い清めて新年を待ちます。年があらたまると日の出の前の暗いうちから初詣をして、新しきこの一年の幸せを祈願します。そして初日の光をいただいて「明けましておめでとうございます」と新年を言祝ことほぐ、これが日本人の古来からの慣習です。 

 日本ではじめて暦がつくられたのが推古天皇の604年、百済を通じて伝わった中国の暦が採用されたのが始まりで、江戸時代まで中国の暦がつかわれていました。太陰太陽暦では、立春が年初で、立春を含む月、あるいは立春の近くの新月の日が年初でした。

 冬至より十日も過ぎて、節分・立春までにはまだ一月より長くあるこの時期をどうして年の初めにしたのでしょうか。冬至の日を境に弱くなった日の光も日一日と強くなっていく、冬至の翌朝を年の始まりとしてもいいはずです、また寒さが過ぎて暖かくなる立春を始まりとしてもいいはずです。それなのになぜ節分から一月も早い日を1月1日としたのでしょうか。

日本の新年はなぜ1月1日なのだろうか?

 太陰太陽暦とは、月が地球を一周する29.53日の12ヶ月分に相当する354日と、地球が太陽を一周するのにかかる365日とに生じる差、11日をうまく工夫して、月と太陽の両方の運行を考慮した高度で科学的な暦が太陰太陽暦です。四千年程前から中国の黄河流域で「農暦」として使われていたものが、六世紀後半に日本に伝来し修正されて、太陰太陽暦となったそうです。

 日本では1872年(明治5年)から、現在の1月1日を元日とするようになりました。太陰太陽暦(月が地球を1周する時間と地球が太陽の周囲を1回転する時間を併せて作った中国の暦)から太陽暦(地球が太陽の周囲を1回転する時間を1年とする)に切り替えたので、太陽暦の1月1日を元日としたのです。 

 国によって正月は異なっています。ヒンズー暦、イスラム暦、太陰太陽暦、太陽暦によるからです。インドネシアのバリ島では太陽暦のほかに地方暦や宗教暦の正月があるそうです。タイでは太陽が次の黄道帯に入ることを意味するソンクーランが正月で4月13日〜15日の3日間に当ります。イランでは春分の日が正月です。このように国や宗教によって年初はさまざまです、世界各国を旅するとさまざまな正月に出会えることでしょう。

 高度で科学的な太陰太陽暦を持ちながら、明治五年、新政府は太政官布告を出して太陽暦に替えました。当時は相当な反対があったけれど断行したのです。 以来、自然と共にある日本の伝統行事や、農・漁・林業等が混乱しました。1ヶ月のズレが生じますから、畑仕事でも、花の咲く時期、虫や鳥の出現は、新暦にはまったくあてはまりません。立春や春分など二十四の節気で区切る、旧暦の太陰太陽暦の方がぴったり合うからです。

正月は門松をたてて年神さまを迎えます

 日本では正月に年神さまが家庭を訪れます。年神さまは来方神で、稲の実りをもたらす穀物神です。また年神さまは先祖の霊であり、正月には年神さまとして迎えるのです。門松を立て、注連縄しめなわ飾りをして、鏡餅を供えて年神さまを迎え、家族でもてなし、その年の健康、繁栄、豊作、豊漁を願います。
 門松は家の門の前に一対立てます、松や竹の飾りのことで、松飾りともいいます。最近の日本人には正月に年神さまを迎えることも、そしてそのための松飾りや注連縄しめなわの意味もあまり理解されていないようです。

 松飾りには常緑樹として松を用いるようになり、そのことから門松と呼ばれるようになりました。古くから木のこずえに神が宿ると考えられていたので、年神さまを家に迎え入れるための依代よりしろです。 「松は千年を契り、竹は万代を契る」という諺があるそうで、門松に松と竹が使われるのは、神の宿る場所(依代よりしろ)が、永遠に続くことを願っての組み合わせです。

 太陽のまわりを回っている地球と、月の回転時間を根拠として、人間は暦をつくりました。宇宙の法則は永遠に確かなものであるからこそ、時間軸になっています。
 この宇宙の法則である暦の時間軸のもとでは、人間の欲や傲慢さは、なんの意味ももたない。経済動向や、戦争、社会の問題などということに関係なく時は過ぎていきます。地球温暖化による自然界の変化にも無常に時は過ぎていきます。

 現在は、太陽暦である西暦2010年の1月ですが、どんどん時は移っていきます。古来より日本人は暦による年の初めに松飾りをして、連続する命の源である祖霊を年神さまとして畏敬の念をもって迎え祀ってきました。年の初めにあたり、天地自然の恵みに感謝して、謙虚な気持ちでこの一年の幸せを願う、それが正月でしょう。

朝々日は東より出で、夜々月は西に沈む

 中国の陰陽思想では、天・日・明・長・暑・福などを陽に、地・月・暗・短・寒・禍などを陰にあてて、この陽と陰とによって世界をあらわしています。冬至を境にして日の光は日ごとに力が強くなるから冬至の翌日が元日といえる。節分は春夏秋冬の季節の変わり目であるから、立春も元日です。いずれにしても世の中が不景気で生活が苦しいと感じる人が多い、そういうご時世ですから、禍をなくして福がいただけるなら、幸せを願う元日が何度あってもいいようです。

 冬至の翌朝が元旦であっても、立春の朝が元旦であってもいい、その時すべてが一新し、すべてがめでたいのです。春夏秋冬、太陽は毎朝東からのぼり、月は日ごとに西に沈む、したがって、その日その時が新しくめでたいはずです。

 「学道の人は、後日を待ちて行道せんと思うことなかれ、ただ今日今時をすごさずして、日日時時を勤むべきなり」と道元禅師が諭されています。一年365日ですが、明日あるを期待せずに今日の一日を力いっぱいに生きる。一日24時間というけれど、只今をどのように生きるのか。この一瞬を常に心新たに生きることで、日々是元日であり、一年365日を日々是好日としたいものです。

「初日の光さし出でて、四方よもに輝く今朝の空」という古歌があります。元日の朝日はその年のはじめの日の光です。初日の光に照らされてすべてのものがみな新たに輝いています。「日出でて乾坤輝き、雲収まって山岳清し」 それはにごりなき光です。
 新しい年を迎えて、すがすがしい初日の光をいただき、心新たにして、この一年の幸せを願いましょう。

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