第116話    2008年9月1日

露命

松吹く風は実相を談じ、露に鳴く虫は妙法を説く
 

突然の死

 「故人は享年22歳、あまりにも短いご生涯でした。突然の死でしたから、とても驚かれたことでしょう。思いがけないことでしたから、こうして、今ここに親しい友達が集まっていることさえもが信じられないことだと思います。皆さんの中の何人かの友達と、一昨晩もごいっしょだったそうですね。また、数日前に食事したり飲んだりして、楽しく談笑された友達もおられるでしょう。」

 これは通夜で拙僧が故人の友達に語りかけた話の一部ですが、それは22歳の男性の突然の死でした。若くして亡くなられた仲間の死を惜しんで、大勢の友達が通夜に来られました。

 通夜に来られた友達は異口同音に「どうして死んでしまったのか」と。それは信じられないほどに突然の出来事だったのです。驚きと悲しみのうちに通夜が、そして葬儀が進められました。

 今の勤め先は三年目だそうですが、明るい性格で、真面目な青年でしたから、職場では上司そして同僚からも好感をもたれていたようです。
 人に頼まれれば断るということを知らず、若くて独身であるためか、夜勤につく頻度も高かったようです。この本人のご性格が災いして突然死に至ったとも解釈できそうです。突然の死でしたから、職場での事故死の疑いもあったようですが、急性心不全ということでした。

無意識にストレスの原因をつくりだしてしまう

 友達から誘いの連絡がくると、断ることをしなかったそうです。夜勤明けであるのに、帰宅しても睡眠をとらずに外出、そして親しき友と夜を徹して遊興して、明け方に自家用車の中で軽く仮眠して、そのまま出勤するという、このような状態がしばしばあったそうです。

 亡くなる二日前も夕刻に勤務を終えるや、友達から誘いがあり、未明の帰宅にて、翌朝は朝食もとらずに出勤していたそうです。そして倒れる前日の夜も友達と食事して遅くまで飲んでいたというのです。

 若いからそして体力に自信があるからと、本人の口癖であり、小さい時から病気らしい病気もしたことがないので、両親も少しは体をいとえと諭しはされていたが、あまり気に止めることもなかったそうです。

 自宅から職場まで、高速を使えば30分だが、通勤は毎日のことですから、高速を使わず1時間の車通勤をされていました。その日も買ったばかりの四輪駆動車で出勤されました。業務についてすぐだったようですが、突然職場で崩れるように倒れこんだそうです、救急で病院に着いた時は、すでに心肺停止の状態であったとのことでした。

自分の意志にもとづいて生きているようでも、実は生かされているのです

 若い人は自分の体力を過信して、ついつい自分で自分を酷使してしまいます。無意識にストレスの原因をつくりだしてしまうのです。自分の身体が自分自身に対して、赤信号のシグナルを発していてもこれに気づかないのです。そして取り返しのつかない状況に至る、悪くすれば命を落とす、故人はまさにこの状態にあったのでしょう。

 身体にとって自律神経の働きは重要です、すなはち交感神経と副交感神経の働きが、バランスのとれたものであれば健康ですが、アンバランスであれば、体の働きに不調をきたすことになります。

 睡眠不足、栄養のかたより、運動不足、精神的疲労、肉体的疲労等が重なり、一方で休養と栄養、適度の運動が保たれなければ、体内にひずみ、すなわちストレスが生じて、安らいだ精神状態になれません。このひずみが解消できないと、まさに交感神経と副交感神経の働きが、バランスのとれたものにならないから体調不良になってしまうのです。

 人間の体は自分の意志に関係なく、生きようとするはたらきがありますから、意識せずに呼吸をし、心臓その他内蔵の働きも自分の意志にかかわらず、生命維持のために動いています。自分の力によって、己の意志にもとづいて生きているようでも、実は生かされているのです。だから、いくら若くて体力があるからといっても限度があります、なんでもほどほどにということでしょう。

この世は無常です

 無情という言葉はよく使われます、思いやりがないこと、なさけ心のないことを言います、あるいは非情とも言います。ところが無常という言葉はあまり使われません。
 無常とは、定まりのないこと、一切のものは生滅して常住でないこと、人生のはかないことを言います。人の死去したことを無常の風が吹くなどと表すようですが、無常という言葉は日常的にあまり語られないようです。 
             
 「明日に紅顔ありて夕べに白骨となる」ということわざのとおり、生身の人間だから、突然に命を落としてしまうことがあります。自分には無常の風は吹かないということはありません。儚いのが命です、この世は無常です、肝に銘じておきたいものです。
 そして「青柿が熟柿弔う」という言葉がありますが、お若いのに気の毒なことだと、若くして亡くなられた人の死を惜しんでいますが、いずれ自分も遅かれ早かれ死んでいく運命にあるのです。

 「無常憑たのみ難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん」だからこそ「此の一日の身命は尊ぶべき身命なり、貴ぶべき形骸なり」と命を無駄使いしないようにと道元禅師は教えられました。我が身は宝物です、大切にして意義ある日々を生きたいものです。

 「今日はお友達が大勢お別れに来ていただきましたが、故人からお友達の皆さんへのメッセージがあるようです。日々欲望にふりまわされ、欲望を追求する生活ですが、いかに自我欲望をおさえる努力をするかが、自分を大切に生きるということでもあります。おたがいに心して日々生きていくことを、身をもって故人は示しておられるのだと思います。いつまでも故人のことを忘れないようにしてください、ともにご冥福をお祈りしましょう。」お通夜の席で大勢のお友達に拙僧はこう話しかけました。

  実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱する。
  欲望の対象にはこの患
(うれ)いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。
                                         スッタニパータ(お釈迦さまの言葉)
   
 
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