「鐘の音」   和尚の一口話                   2002年 3月1日

        第三十八話
  他をも救わん
  
        
救われたいという 願いがあるなら
            他を救わんとする 願いをおこせ



  「生きているうちが花や、死んだらおしまいや」と、このようにつぶやきながら、お墓参りをしている方がありました。そうかもしれませんが、死んでからのことなど、 誰にもわかりませんから、「そうですね」 とも答えられません、あなたはどう思われますか。

 家族との死別を、思い出しては深く悲しんでおられるのでしょう。
 その人にとって、今が、とても辛く 悲しいけれども、それに耐えて生きぬくとその向こうに幸せがあるのだと、自分に言い聞かせて、がんばっておられるのでしょうか、また今が、とても充実した日々なのでしょうか。


 人間のはからいを超えて命は生まれてきました、地球は宇宙につながっていますから、人の命も、宇宙から与えられた不思議な生命です。

 今日、遺伝子構造や 生命誕生の科学的解析が進んで、命について科学的に解明されるようになりました。自分がこの世に生まれてきたのは、はるかなる太古の祖先から、父母へのぶっ続きの命 (遺伝子) をいただいて、生まれてきたのです。 人として生まれてきたということは、受け難し人身を受けることができたのです、この世に生を受け、そして今、生きています。


 あらゆる生き物は、生きとし生ける、さまざまな他の命にささえられて、生きることができる、人も同じです、只一人では生きていけません。この道理を認識する謙虚な態度こそ最も大切なことですが、現代人はあまり気に留めようとしないばかりか、気づいていても、自分本位に行動します。

  この最も基本的なことが崩れ去ってしまう世の中ほど、恐ろしいことはありません。食品の品質表示の不適正、銀行や企業への取引不信、産業の空洞化と企業倒産、公人の不正行為、親の子供虐待、詐欺や凶暴な犯罪青少年の命を尊ばない無謀な行動、非情なリストラ等々、枚挙にいとまがないほど最近、人々の心はすさんでいます。信頼や信用、お互いを助け、生かし合えることを、みんな忘れてしまったのでしょうか。

 自分の力で生きているのだと思い込んでいる人であっても、人間は多くの人々や、生きとし生ける、さまざまな命にささえられ、生かされています。
 
只一人では生きていけません、多くの人々や、生きとし生ける、さまざまな命とともに生きているから、ヒトと間、すなはち人間というのでしょう。

 「生きているうちが花や、死んだらおしまいや」
「救われたいという 願いがあるなら、他を救わんとする 願いをおこせ」
ぬくもりのある、あたたかな春彼岸の墓参りの日、
生きとし生ける すべての命に、人に、手を合わせ、心静かな自分を取り戻しましょう。
「今、生きている、生かされている」 この幸せを、喜びを実感しましょう。


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