「鐘の音」   和尚の一口話               2002年2月1日
 
         第三十七話   梅一輪
   
         梅香る 一輪なれど あたたかし 

 お金や物を失った時には、とても残念に思うけれども、 そのうちあきらめもつく、また頑張れば取り戻すこともできます。けれども、命を揺さぶるような衝撃の体験をしますと、頭での記憶は年月とともに薄らいでいきますが、その体験は身にしみついて、躰が覚えていますから消え去ることはありません 深い心の傷、躰が覚えた経験は、その後の生き方、考え方に影響していくそうです。


 人間の最大の悲しみは、離別です、なかでも死に別れです。身近な人、とりわけ、夫婦での死に別れや、親子との死別は、この上もない悲しみに打ちひしがれます。けれども、その深い悲しみの体験により命あること、生きていることの喜び幸せが、よくわかるようになります、躰が覚えた経験が、やさしさの心を育むからでしょうか。

 深い悲しみ、耐え難い苦しみを経験し、それに耐えて、のりこえることによって、はじめて、 生きること、 命ある喜び、ほんとうの幸せとはなにかが、よくわかるようになるのでしょう。


 今年も、香り高き梅の花が咲く時節になりました。
 梅は夏に伸びた若枝「すわえ」に、翌春には蕾をあまりつけません、冬の寒風に吹かれ、そして夏の灼熱を超えて成長して、翌々年の春になって、その枝も太くなり、多くの花を咲かせるようです。

 また柿の木も、若枝には甘い実はならないようです、とくに「くぼ柿」は幾星霜を経た枝になる実は、ほんとうに甘いものです。

 寒風、灼熱に耐えて咲く梅の花は美しい、あたかも人が艱難辛苦をのりこえて、生きて、はじめて真の喜びを知るが如くであります。
 しかも、梅は、己が力だけで咲いているのではない、天地自然のさまざまなご縁のもとに、自然が総掛かりで美しい花を咲かせるから、梅一輪にも、暖かさが感じられるのかもしれません。

 柿の木も、幾星霜を経た枝になる実は、じつに甘い、自然が甘く実らせるのでしょうか。深い悲しみや、耐え難い苦しみに耐えてこそ、命ある、生きているこの上もない喜び、幸せを、深く味わい知ることができるようになる、そういうことかもしれません。


    心とて 人に見すべき 色ぞなき
          只露霜の 結ぶのみ見て
  道元禅師
 
     
心はこれですと、人に見せることができるような、うるわしきすがたはない、
       地上に露や霜をおくように、自然に、いつとはなしに凝固しては、また消え
       去るようなもです。 

  
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