「鐘の音」   和尚の一口話               20002年1月1日

     第三十六話
  
春来たらば花開く
    
 
       元旦、万物はことごとく新たなり、梅は早春を開く


 道元禅師は梅の花を好まれた、本師である中国の如淨禅師もやはり梅の花がお好きであったから、 よく梅の花にまつわるお説教をされたそうです。
元旦、万物はことごとく新たである。伏しておもんみれば大衆、梅は早春を開く
 このように、如淨禅師が元旦に修行僧に示されたと、道元禅師は「正法眼蔵・梅花」に著しておられる。

 梅の花のみならず、万物ことごとくが仏さまです、すなはち 天地自然の真理の現れです、だから、梅の花が咲いているから春がきたというより、大地に梅の花の開くところすでに世の春は到来している、万物みな新たなりと、お示しになられたのです。


 
また如淨禅師が
「本来の面目、生死無し、春は梅華にありて画図に入る」と言われたことをあげられて、「春を画図するに、楊梅桃李を画すべからず、まさに春を画すべし」と道元禅師はお示しになっています。

 春を描くのに、楊(やなぎ)や梅や桃や李(すもも)をそれぞれ描いても、春が描かれたとはいえない、楊や梅や桃や李ばかり見て、春を見失っていないでしょうか。あんがい、目の前の、現実のありのままの姿をとらえているようで、 楊や梅や桃や李にとらわれてしまい、 ものごとの本質、すなはち春を見ていないことが多いのではないでしょうか。


 
今、日本では生きる意味を見失った人々が多いのでしょうか、過去3年間毎年3万人を超える自殺者があり、交通事故死の三倍に上るそうです、不況とリストラで生きがいをなくしてしまうほど 精神的に弱い人々ばかりになってしまったのでしょうか。

 低成長・マイナス成長の時代になってもなを、 右肩上がりの成長路線にしか価値を求めず、 生き方の転換に意義を見いだすことができない人々ばかりなのでしょうか。

 進学路のランク付けにより学校教育がおこなはれ、ついていけない子には落後者のレッテルをはり、 子供が生きがいを自分で見つける余裕すら与えない、そんな子育てばかりしているのでしょうか。

 金銭が人間関係の基本であり、家族や愛情よりも信頼できる、世の中はすべて経済的合理性に基づくのだ、という解釈しかしない人々ばかりになってしまったのでしょうか。


 
21世紀のスタートはけっして人類の輝かしい新世紀の始まりとはいえない状況であります。富める超大国に人や金が集中する一方、 途上国の貧困層はますます貧しくなる・・・・・国家間、個人間の所得格差の拡大、 民族の伝統や共同体などの固有性を失わせて、世界を均質化してしまうような潮流に対して、 世界同時不況への懸念、米同時テロ事件等で 地球規模の急速な市場経済化 (グローバル化) の矛盾が クローズアップされてきました。

 21世紀は心の時代だと言われます、アメリカでは同時テロの影響からか教会に足を踏み入れることのなかった若い人々が、熱心に通い始めたそうです


 心の時代のキーワードを 「多様性と共生」 にしたいものです、 自分の生きがいを「多様性と共生」に見いだし、人間関係の基本も「多様性と共生」に置きたいものです。しかもそれは人間中心ではなく、万物生命を育む自然に本来そなわっている 「多様性と共生」 です。

 「梅は早春を開く」 という教えは、天地自然の真理である 「多様性と共生」を、新春を迎えて、梅花の咲くさまをもって説き示されたものです


 
春になると花が咲く、これは大自然の風光です、大自然の動きであり、生命の輝きです、人間のはからいを超えた自然の躍動、そのものの現れです風が吹き、雨が降る、晴れたり曇ったり、日々新たなり、これが大自然の風光です。

 新春を迎えて、森羅万象ことごとく新たなり、人々も皆新たなり、 すべての面目が一新しました。 目の前のさまざまなものごとにとらわれないで眼前の風光のことごとくを、あるがままに見、あるがままに受けとめてものごとの本質である春を見いだしてこそ、春の到来を心から喜ぶことができる、日々是好日、365日を生き生きとありたいものです。

                  戻る