「鐘の音」   和尚の一口話  2001年9月1日
  
 第三十二話  おてんとさま   

  神さま、仏さま、ご先祖さま、おてんとさま

 かってどこの家庭にも神棚と仏壇があって、日常の明け暮れに神仏に祈り朝日に手を合わせ、夕日に感謝する、親や祖父母の後ろ姿がありました。

 一粒でもご飯を食べ残したり、好き嫌いを言うと「もったいない」と、親は子供を叱りました。食べ物や、ものに対して「いただきもの」「さずかりもの」と天地自然への感謝の気持ちをいつも忘れませんでした。みんな昔話になってしまったのでしょうか。

 「ご先祖さまに顔向けできないようなことを、してはいけないよ」親の言葉が頭のどこかにあるから、自制心がはたらき、悪いことをしょうと思ってもできません。「おてんとさま(お天道さま)が見ているよ」おじいさん、おばあさんの口癖が、いつも心の片隅にあります。

 親や祖父母の教えが、「生き方の規範」になって、より良き行いをしようと心掛けます。かって人々は「人の道」という、歩むべき方向を持ちあわせていました。

 
ご飯を食べ残したり好き嫌いを言っても、最近の親達は「もったいない」と叱らなくなりました。子供は食べ物があふれているのに、自分好みの品をもとめてコンビニに行きます。 

 精神の不安定な時期にある青少年の自暴自棄の行動、大人達の自分勝手な独りよがりの行い、失望と絶望、人々はさまざまな心の不安を抱きながら、日々明け暮れしています。 

 現代人は老いも若きも「生き方の規範・人の道」という、心のよりどころを持たないから、ストレスで心身を病み、自信を喪失し、ささいなことにつまずいてしまいます。


 「もったいない」という言葉をつぶやきながら、天地自然に手を合わせても、いいのではないでしょうか。
 「ご先祖さまに顔向けできないようなことを、してはいけないよ」 「おてんとさまが見ているよ」「神さま、仏さま、ご先祖さま、おてんとさま」と拝む、日常行動があっても、いいのではないでしょうか。

 経済や政治・社会情勢に押し流されるようでは、潤いのある生活はできません。昨今のように混迷する社会情勢のもとでは、人々は目先のことばかりに心うばわれます。そんなご時世であればこそ、なにか大きな恐れるもの、畏敬の念を抱くものがあれば、かえって安心します。

 神仏や、天地自然に手を合わせる、積極的な行動によって、子供達は健やかに成長し、大人達は希望と自信をとりもどし、安らぎを得ることができるでしょう。


  あきらかにしりぬ、心とは山河大地なり、日月星晨なり
             
道元禅師(正法眼蔵・即心是仏)

 高度に発達した文明の中に生活する現代人は、自己中心のこころでものを見、聞き、思い、行動している。山河大地を相対としてとらえ、自分の思い描く観念でイメージしたものとして認識しているから、大自然との関わりなしに生きられないと、自己中心的に理解しているにすぎない。
 自己中心のこころにとらわれているうちは、一切のものが見えているようで、 見えていない、聞こえているようで、聞こえていない、とらわれ心が無くなった とき、山河大地、日月星晨のほかに心なく、一点のかげりもない。

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