「鐘の音」   和尚の一口話  2001年2月1日

 第二十五話
 どれだけやさしくなれるか 
                                  
    あなたの人生が、幸せであるかどうかは 
   
どれだけやさしくなれるか、
   どれだけやさしくできるかによって、きまる


 
地球上のすべての生きものは互いに命の繋がりがある、そして生きものの細胞には遺伝子情報・命の情報があり、生き死にしながら、 何万・何億年にわたり伝えられ、さまざまな生きものの命が続いてきた。三千万種の生きもの、そして今の貴方が、私があるこれはまことに不思議なことです。

 人体は50〜60兆個の細胞からなる細胞の集合体で、 一呼吸の間にも古い細胞が死に、新しい細胞が生まれているそうです。
 貴方や私というこの命、自分の意思や力で髪の毛一本、自由に生やすこともできない、腹が減る、屁が出る、年とともに老化する、生理現象のすべてが自分自身ではいかんともしがたい、呼吸だってほとんど意識せずにしている。

 けれども人は、自分の意思で力で、生きていると思っています。自分の意思で生きているというのは、 自分の思いこみであって、自然の摂理によって、生かされているといったほうが当を得ているでしょう。


 人間は百歳まで生きられるような、 生理的体質に生まれてきているそうですが、ほとんどの人はそこまで生きられないで寿命が尽きてしまう、 なぜならば、ストレスにより自滅してしまうのです。

 人は自然の摂理によって生かされていると気楽に受けとめればよいのに、欲張り根性、見栄っ張り根性があるから、いつも肩肘はって、 世間や他人に気を使いながら、 ストレス地獄の中で、あがき苦しんで生活しています。 


 命の儚いこと、 つかの間の命、 死するものとしみじみと思う時、自分の生き方を本気で考えるものです。 命ある間に本当の生き方を見いだし、こんなに光り輝くすばらしい世界に生きているのだから、悔いのない人生を送りたいものだと、時には思うでしょうが、「そのうちに」で、日が暮れてしまう。

 人は死ぬものだということを、日常、全然忘れて暮らしているばかりか、死と隣り合わせであることさえ、さほど気にもかけずに日々を過ごしています。 しかし、まさに死に直面したならば、生きていることを強く実感するそうです。

 作家・高見 順 は 『電車の窓の外は、 光りにみち喜びにみち、いきいきといきづいている、 この世と、 もうお別れかと思うと、見なれた景色が、 急に新鮮に見えてきた・・・・・・ 死の淵より』

 俳人・正岡子規
は 不治の病、 絶望の悶々たる日々にあって、夜空に満天の星が輝くのを見る、 その中、一つの星のきらめきに生きる希望を得る。
  「真砂なる 夜空の星の その中に 我に向かいて 光る星あり」

 
作家・日野啓三 は 自らの体験談として、 手術の長い時間が過ぎて麻酔が醒め意識が戻りつつある時、最初に見えたものは病室のひび割れた壁のシミ、 それがまぶしく見えた、 窓の外には霜枯れの枯れ草が風に揺らいで光り輝いてきらめいている、その時、 自分は生きているのだと実感した。そして、この世がこんなに光り輝いた、 すばらしい世界であることを、 これまで思わずに暮らしてきたことに気づいた、それからというもの、ものの見方、生き方が変わったと話す。


 お釈迦様は真砂なる砂の一つかみをもって示して曰く、この世に人 として生まれてきたこと、すなはち人身得ること難しと、そしてさ らに砂をまた一つまみして曰く、仏法にあうことはさらにまれなりと、この身今生において度せずんば、いずれのところにかこの身を度せん。 今、幸せな人生を送らなければ、生まれてきた甲斐がない、仏の御命を生かせと教えられた。



 
百年前、夏目漱石は「我が輩は猫である」で、猫の目で人間を見 つめようとした、21世紀、人間が宇宙で生活できる時代になった。
 宇 宙からの目人 間社会を見つめることができる、地球環境の問 題、飢餓と貧困宗教や民族の対立など、世界的な問題のみなら ず、ズームアップすれば、身近な出来事もよく見える、 残酷非道な事件、児童虐待、青少年の残虐行為、学級崩壊、いじめ等々。 
 今、
いのちの目で人間を見つめ直したいものです。


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