「鐘の音」   和尚の一口話     
         中国・祁蓮山脈
  1999年11月1日

    第十話
  真実の姿を見る  

         人、舟にのりてゆくに
         
目をめぐらして岸を見れば
             岸の移るとあやまる
   道元禅師

       自分のわがまま勝手な色メガネを捨てなければ、
     
真実の姿はなかなか見えてきません


  これは、道元禅師が、あなたは舟に乗って、岸を見ていると岸が移るかのように、又景色が走っているかのように見えたりしたことがありませんかと、言われたのです。

 また、こんな話もあります、ある時一人の僧に「あれは旗がなびいているのか、それとも風がなびいているのか」と尋ねた、僧は答えて曰く、「旗にあらず、風にあらず、汝の心が揺れ動いているのだ」と、 このようなことはだれにでも経験があることです。

 私達自身の心が揺れ動いているから、そのも のをしっかりと見定めようとしないで、自分勝手な見方やとらえ方をしていることが多いのです。正しくものを見ることができないで、 我が儘勝手の色メガネでもってものを見てしまいます。
 道元禅師は自己のこだわりを捨てないかぎり、全てが自分中心に回転していると思いこんでしまうものだと、 説き示されています。


 最近、特に中高年の自殺者が急増しています、リストラや企業の経営不振といった人間関係や経済的な理由がその原因とも伝えられています。自分一人でなく家庭があり、人々との繋がりがあるから、その波紋は穏やかなものではない。 

 日本人独特の思い込みで、すなはち死ぬことをもって一切を問われない、求められない、死んだらチャラになると、そういう考え方が頭の片隅にあるからなのか男性の自殺者が多い。


 よく考えてみると、私たちは常に意識して呼吸していない、自然に呼吸しています、みんな生かされているのです。私達の身体だって、一つ一つの生き物である細胞が寄り集まって新陳代謝して生きている。自分で生きているようでも、実は生かされている。だから自己の身体は自分の生命じゃない、ともいえるでしょう。

 大きな宇宙全体、全部丸がかえで生かしてもらっているということでしょう。宇宙の小さな自己だけれど大きな宇宙に生かしてもっらてる、そういうことでしょう。

 思い詰めて、絶望だとか、窮地に堕ちて再起不能だと思い込むことも、実は自分勝手な思い過ごしなのです、自ら死を選ぶことは、我が儘かってな色メガネで見ていることに気づかなかったために起きてしまう悲劇であります。

 もっと大きく視野を広げて、真実の姿をありのまま、そのままに見ましょう、おのずと道もよく見えてきます。自分の色メガネを捨てなければ、真実の姿はなかなか見えてきません
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