第107話 2007年12月1日
                 
          悪業

         「 その報い よも われには来たらざるべし 」
          かく思いて 悪しきを軽んずるなかれ
          水の滴り  したたりて 水瓶を満たすがごとく
          愚かなる人は ついに悪をみたすなり 
法句経〉

                   

悪しき営業行為が人々のひんしゅくを買っています

 このところ食品に関する不正取引の問題が後を絶ちません。伊勢の名物である老舗のあんころ餅が不適正な表示を長期間日常的におこなっていたことが問題になっています。50年近く前のことですが、小学校の修学旅行で愚僧はお米をリュックサックに入れ、蒸気機関車に乗ってお伊勢さんに行きました。その頃のお土産はあんころの福餅でなく生姜板の砂糖菓子が多かったように記憶しています。

 50年前はあんころ餅は生ものですから修学旅行の土産として遠方へ持ち帰ることができず、お伊勢さんの茶店でしか食べられなかったのです。けれども愚僧の弟子がお伊勢さんに行った20年前は修学旅行のお土産はこのあんころの福餅でした。冷凍冷蔵技術や物流の発展とともに遠く離れた駅の売店でも販売されるようになりました。遠方への土産としても買い求められるようになり、このあんころの福餅を商う企業は近年飛躍的に売り上げを伸ばしてきたようです。

 最近でも修学旅行でお伊勢さんに行く生徒は多いでしょう。五十鈴川の清流で手を洗い、すがすがしい気持ちで伊勢神宮に参拝します。そして家族への土産にあんころの福餅を買って修学旅行の思い出の一コマとしたい子供の心に、このような不条理な大人の悪しき行為はどういう影響をあたえているでしょうか。

 また食品の製造販売においても、牛肉に他の肉を混ぜたり、鶏肉の産地のちがうものを用いた品質表示の偽装も明るみになりました。高い信頼を得てきた高級料理店までもが、食品の賞味期限の改ざんをし、産地の異なる食材を偽って販売していることなど、このところ悪質な営業行為が人々のひんしゅくを買っています。

日本の国の行き先を見失ってしまいそうです

 国民年金・厚生年金などの公的年金に5000万件もの誰のものかわからない加入・納付記録があるというのです、けれども同じ年金でも行政職員などの公務員の年金にはこういう問題が生じていないそうです。公的年金制度への国民の信頼が大きく揺らぎ、生活不安を抱く国民感情が選挙結果にあらわれて、先の参議員の選挙では議席数に大きな変動がありました。

 防衛省の高級官僚の不正疑惑がとりざたされています、政治家や官僚の汚職はつきることがありません。政府官僚や公務員の不正、政治家の絡んだ利権の構造が明るみに出る度に、またかという声が聞かれます。霞ヶ関での問題が報じられると全国規模の世論が巻き起こるが、地方においてもこの種の問題は後を絶ちません。

 また新たに高速道路の橋梁の鉄製型枠の強度偽装が発覚しました。そして建築基準法に違反して建てられた建造物の構造欠陥が問題になってから、厳正なチェックのもとに建築の許認可がなされるようになると、工事完了までに時間が多くかかり、その影響もあって建築業界では関連業者の倒産が増えているとのことですが、命を尊ぶことが第一義であるべきでしょう。

 次々におこるこうした問題の処置におわれて、日本の将来のためにとるべき施策が十分になされていかないと、グローバル化した経済の変動等、世界の荒波にのみ込まれてしまい、日本という国の行き先を見失ってしまいそうです。また日本企業はその品質の良さと信用で国際的に高い評価を受けてきましたが、こういう企業の相次ぐ不祥事は、国際的信用をも著しく失墜することにつながりかねません。

早く悪の果実と気づくことが大切です

 問題が表面化すると行政指導が行われますが、多くの場合、こういう食品の不正がおこなわれていても、人々は知らないで食しています。企業経営側では問題が生じ、偽装が発覚しなければよいとして、企業の利益を優先してきました。業務にたずさわる従事者もそうした企業体質にしたがっているのですが、社会悪につながるとの疑問を感じ、苦しみ悩む従事者は社内告発してでも正義を貫こうとされるから、企業のエゴイズムも正されるのでしょう。

 こうした問題が後を絶たずおこっていますが、問題が明るみに出ないだけでこの種のことは他にも数多く存在しているだろうとも思わざるをえません。このような悪しき商行為が世間のあちらこちらで日常茶飯事になされているのではと思ってしまいます。こういう現状に対しては消費者のきびしい目こそが、監視役になるのでしょう。

 お釈迦様は 「悪の果実いまだ熟れざる間は 悪しきをなせる人も幸福を見ることあるべし、されど、悪の果実 熟するにいたらば、その人ついに不幸に逢わん」(法句経)と教えられた。
 悪の果実がまだ熟さないうちは、悪いことをしていても幸せになることがあるが、悪の果実が熟すると毒をもち不幸に陥るから、早く悪の果実と気づくことが大切なのです。

 悪しき商行為が続けられていけば、それを行っている者は平気になる、そして悪しき行為がさらに拡大していくのです。政治家や官僚の気位がしばしば傍若無人の悪しき行動につながり、利権の構造をつくり出していくのもそれでしょうか。このくらいのことをやっても、まさかその報いはあるまいと、悪しき行いを続けているとついに悪人になってしまうものです。
 
悪しき行いは凡夫の悪業です

 「天にはお天道(てんどう)さまが、地にはご先祖さまが見てござる」だから悪しきこともお天道さまはお見通しである、ご先祖さまには恥ずかしくない生き方を心掛けたい。日本人は昔から、壁に耳あり障子に目ありと、天の声、ご先祖さまの視線をことさらに気にしてきました。悪の道にのめり込んで行かないように、これが人々の倫理となっていました。
 天道とは大地自然の道理を意味するそうですが、自然の道理に則した生き方を理想とする日本人は、いつしか西洋の一神教の文化にかぶれてしまったのでしょうか。自己の権利意識を強調するのと裏腹に大地自然の道理に背き、社会正義に反する悪しき行いを平気でする人が増えてきたようです。

 人には貪瞋癡(むさぼり、いかり、おろかさ)の三毒の心がある、この三毒の心がはたらき悪しき行いをしてしまうのです。人はこの三毒の心のはたらきを抑えて、大地自然の道理に則して生きる理想的人間像である仏に近づこうとするのですが、どうしても三毒の心を消滅できないのです。この三毒の心のおもむくままに勝手気ままな自分本位の生き方をしてしまうのです、これが普通の人すなわち凡夫です。
 凡夫の生きざまを業(ごう)といいます、悪しき行いは凡夫の悪業です。天の声やご先祖の視線が倫理となり、三毒の心のはたらきが抑えられるのですが、現代人には自己の権利意識のほうが強くなりすぎたようです。

 大地自然の道理のもと、自然体である自分という生命体は己の意思にかかわらず心臓は鼓動を続けています、さまざまな臓器も己の意思にかかわらずその働きをしてくれている、自己の身体を構成する50兆個の細胞も生きている限り己の意思にかかわらず新陳代謝をしています。ところが三毒の心がはたらくと、悩み苦しむこと、すなわち煩悩が多くなり、それにともないストレスが大きくなるから臓器の働きにも影響が出てきます、すなわち心身が病んでしまうのです。

 悪しきおこない(悪業)を生きることがどれだけ苦しいことであるか、でも悪事に慣れてしまうと少しぐらいは、これくらいはという思いが、慣れっこになり、さらにどん欲な気持ちが働き、悪事の程度が増していくのです。しかし、どんな軽い悪事でも、やがて大きな結果をもたらすことになるのでしょう。
 三毒の心のはたらきを少しでも抑えて、自然体に生きることができれば一番楽な生き方ができるはずですが、人は執着、欲望が尽きぬから、さまざまな悩みを自分自身でつくってしまうのです。悩み苦しみのない生き方のために常に三毒の心のはたらきを抑えて(懺悔して)、日々を楽しく生きたいものです。

          懺悔文さんげもん
         
我、昔より造りしところの諸々の悪業(罪、悪いわざ)
        皆、無始の貪瞋癡
(むさぼり、いかり、おろかさ)による
        身口意
(からだ、くち、こころ)よりの生ずるところなり
        一切、我、今、懺悔したてまつる


もろもろの悪をなさず、善をたもち、みずからの心を浄めるこそ、諸仏の教えである (法句経)

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