第92話     2006年9月1日
     
                日日是好日
   

   雲門、垂語して云く、十五日已前は汝に問わず、十五日已後、
   一句を道いもち来たれ。自ら代わって云く、日日是好日。(碧巌録)

 
七曜と六曜

 最近太陽の惑星から冥王星が外されたことで、さまざまな論議をよんでいます、太陽の惑星に入れる入れないにかかわらず、宇宙の姿はなんら変わらない、人々の日常生活に定着している日月火水木金土の七曜も変わりません。

 先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六曜で吉凶を判断する現代人も多くいますが、星占いや血液型などとともに根拠のない迷信です。六曜で、どの日が好くてどの日が悪いということなど、本来はありません。事故や災難にあえば悪い日、幸運に恵まれれば好い日だとしても、その人にとっては悪い日が他の人にとっては好い日であるかもしれません、またその逆もあります、個人の問題です。また災いが起こる予感がする不吉な日とか、吉凶を占うこともあくまでも自己の問題であって、日によって命運が左右されるという定めなど、もともとありません。

 六曜が宇宙の真理だと思いこんでいる人は、自分で自分を不安に誘い込んで、災いや不運を自らがよびこんでいるようなものでしょう。
 
行き先は棺桶

 往来を人々は忙しそうに歩いています、ゆっくりと歩いていると邪魔者扱いにされる、高速道路では法定速度で走行していると、ものすごいスピードで追い越されていく、早く走らないと流れが乱れるのでしょうか。
 一日は24時間、一年365日、昔も今も、変わりがないのに、忙しそうにしていないといけないような社会が日本なのでしょうか、忙しいとは心を亡くすと書きますが、己の心をなくしてしまった人が多いのでしょうか、事故や事件が多くなったようです。忙(せわ)しいのは世の中が競争の社会だからでしょうか、日本人だけががそうなのでしょうか。

 「お前さんそんなに急いでどこへ行くのですか」 と、通りを急ぐお人に聞くと、私はどこそこへ行くと言うでしょう。それで、いいえ、ほんとうのあなたの行き先はそんなところではない、あんたの行き先は棺桶やと言うと、そんな験(げん)の悪いこと言うなと怒られるでしょう。
 最終はみんなそうだとわかっているんです、煎じ詰めれば、色や欲やというけれど、人間死ぬのが恐いだけのことで、人間の尺度は大なり小なり、死につながる恐怖からきているんです、あるいは、死の恐怖を一瞬忘れて欲の皮をつっぱらせているだけなのです。

 縁起が悪いとか好いとかが日によって定まっているのではなく、その人の行いがそうさせるだけなのに、人は他に原因を求めて、幸運に期待する一方で不運をさけたいと願うのです。
 
今日是好日

 「日々是好日」と言っても、大安吉日の意味ではない。唐の末期の頃に雲門という禅僧がいた、来る日、来る日の毎日が良い日だと「今日是好日」を弟子に説いた。

 雲門和尚が、修行僧に垂語(教示)されました、
  「十五日已前(いぜん)は汝に問わず、十五日已後(いご)、一句を道(い)いもち来たれ。」 と.。
 十五日というのは今日ということで解釈するとして、「十五日以前のことはもう過ぎ去ったので今日までのことは問わない、今日以後について自分の心中の程を、言葉にして言ってみなさい」と、いわれたのです。ところがだれも答えないので雲門が「日々是好日」と弟子に代わって答えることが多かったと伝えられています。

 山岡鉄舟が 「晴れて好し曇りても好し富士の山、元の姿は変らざりけり」 と言っていますが、そもそも宇宙(この世)は人間の計らいで、どうこうできるところではない。富士山を見に来たのに雲に隠れて富士山が見えないと嘆いてみてもしかたがないことです、雲の向こうに富士山はあるのですが、見えないからと自分の不運を嘆くのは人間の勝手心です。

 人は欲に心が動き、欲に迷ってしまう、 「心とは、心まどわす心なり、心に心、心ゆるすな」 とはよくいったものです、好い日、悪い日、普通の日などと、自分がそう思いこんでいるだけです。
 
日々是好日

 余生を過ごすと言う人があるけれど、人間に、余生と言うものがあろうはずがない、こと切れるまで生きぬくことが天命に従うことです。この世に生まれ出た好き日に、初めてこの世の空気を吸う、終わりは、ありがとうと吐いて締めくくる、終わり好ければすべて好しです。これで人間一生、「日々是好日」、今日で命尽きるかもしれぬから、その日その時、みな良き日、よき時でありたいものです。

 日々是好日が積み重なれば年々好日です、過去を振り返って愚痴ることも無用です、未来に思いを馳せても先のことなど確信がもてません、だから、今日のこの好き日、ただ今を生きることです。

 人生はお天気のようなもので、晴れの日、曇りの日、雨の日、嵐の日など悲喜こもごもです。晴れてよし、曇りてもよし、雨もよし、嵐もみんな天気ですから、天気予報で言う、天気に下り坂もなければ、お天気が回復するという表現も、人間の我が儘根性の表れにしかすぎません。

 人としてこの世に生まれてきて、今、生きている毎日が好き日です、そして多くの方とのご縁によって、共に生きていく日々が好い日です。人生は山あり谷あり、挫折も向上の原動力であり、絶望も希望の出発点ですから喜ぶべきです。来る日、来る日のことごとくが好き日です、自分の物差しで判断していると、ついつまらないことで嘆いたりしてしまいます。

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