第91話      2006年8月1日

    お盆は心清めの一時です  

  世に母あるは幸いなり 父あるもまた幸いなり 
  世に道を求むるものあるは幸いなり 
                     (法句経


お盆は正月とともに日本人にとっては大切な年中行事の一つです

 お盆は盂蘭盆(うらぼん)といいますが、通常はお盆と略称します、梵語の「ウラバンナ」の音写だそうです、倒懸(さかさ吊りの苦しみ)を意味するとされています。

 盂蘭盆会(うらぼんえ)は、死後に、さかさ吊りの苦しみにあっている祖霊を苦悩世界から救済するという、インドの古い行事が始まりだとされています。インドの古い農耕儀礼であった祖霊祭祀と、仏教の夏安居(僧侶の3ケ月にわたる修行期間)の終了時に行われる供養会とが習合したものだと伝えられています。

 この盂蘭盆会の由来は「仏説盂蘭盆経」に説かれています、日本では斉明天皇(657)の時代に盂蘭盆会を催したのが始まりで、そして、しだいに古来からあった祖霊祭祀や農閑期の祭り、地域社会の風習とが結びついて大衆化していったようです。
 すなわち、我が国で行われている盆行事は、中国の祖霊祭祀と、祖霊を迎えて共食をするという日本の正月行事とよく似た古い信仰の形がもとになって、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)が習合したようです。

 亡き人の精霊は浄土におわし、墓地やお仏壇に祀られています、お盆とお正月にお迎えして数日を共に過ごします、お盆は先祖供養として欠かせない仏事であり、お正月とともに大切な年中行事の一つです。

仏壇の前に精霊棚をつくります

 お盆の準備は、お墓の掃除、そして仏壇の前に精霊棚を設けて飾りつけます。亡き人の霊を初めて迎えるお盆は、新盆(にいぼん・初盆)とよばれます。

 家族一同でお墓参りをし、祖霊を迎えます、墓前では墓石を水で浄め、生花、灯明、線香、供物を供えて手を合わせます、そして祖霊は盆提灯に案内されて、お帰りになります。
 精霊が我が家に迷わず帰れるようにと、夕方になると家の門口に〃迎え火〃も焚かれます、鎌倉時代には中国の風習にならって灯籠をかかげ、迎え火を焚く習慣も定着しました、これは幽明の境を迷う人は光明を求めるのだという考えにもとずいているからだそうです。

 祖霊をお迎えして、”ゆっくりとおくつろぎください”という思いをこめて、京都方面ではお精霊さまに ”落ち着き団子”を最初にお供えします。キュウリやナスに割り箸を突き刺し、とうもろこしの毛を尻尾に見立てて牛や馬の形を作ったものをお供えする、これは、馬に乗って速く来ていただき、牛に土産物を乗せてゆっくり帰ってもらうという供養の心を表したものです。子々孫々に長く繁栄しますようにとの願いをこめて、素麺を供えます、祖霊とともに食事をするという意味で、スイカ…季節の野菜や果物、そしてお膳を供えます。 

 祖霊を精霊棚に迎え数日を共に過ごして〃送り火〃を焚き、祖霊に感謝して浄土へとお送りします、各地で行われる「精霊流し」 「万灯流し」や京都の「五山の送り火」もこの送り火です。 

見えないものを見る、聞こえないものを聞く

 お盆棚には、ナスやキュウリを微塵切りにしたものに洗い米を混ぜて”ミズノコ”というものを作って供え、別の器に水を入れ、みそはぎの花で供物に水を注ぎます。これを百味飯食と言って、万霊に供物を供えるという意味があります。

 古代より人々は、万物生命と人間を一体的にとらまえて、生きとし生ける万物生命の精霊すなわち万霊をおまつりしてきました。おじいさん、おばあさんの時代には、お盆の精霊棚に百味の飲食が供えられました、ご先祖さまへのお供え物に加えて、万霊供養のお供え物も用意されていました、しかし最近ではあまり見かけなくなりました。
 古代より伝承されてきた万霊供養 ・ 精霊まつりのこころに立ち帰って、お盆のおまつりの意義を再考したいものです。百味飯食には見ず知らずの精霊にも供養を捧げる意味があります、社会の中にあって他人にもちょっとした思いやり、親切の徳を積むことに通じています。

 核家族の暮らしには祖父母、孫が一つ屋根の下でむつみ合う姿はありません、少年少女たちは、おじいちゃん、おばあちゃんと接点を持たずに育っています、世代の断絶は命意識の希薄化と精神的荒廃につながります。
 私たちはご先祖さまから命を受け継ぎました、あなたも私も、そして生きとし生けるもの一切が、かけがえのない存在として、命の支えあい、生かしあいのために、この世に生まれてきて、今、ここに生きています。
 
 見えない万霊を供養することによって、聞こえない万霊の声が聞こえてきます。それは、この世に命を授かり、今生きているということをお互いに喜び合いましょうということ、そして自分という命は他の命によって生かされ支えられている、だから他の命を生かさずして自分は生きていけない、一切の命を大切にしましょうということです。

ご先祖様とともに過ごすお盆は心清めの一時です

 ご家庭にはお仏壇があって、ご先祖さまをおまつりしていますが、お盆には精霊棚を設けてご先祖の精霊を迎え、ねんごろに供養します。
 近年は精霊棚を設ける精霊まつりも、都市生活者の多くの家庭では受け継がれていないようです。
 ご先祖の精霊をむかえ、ともに過ごす、そして精霊を送る、古来より続けられてきた伝統の行事ですが、その意義を知らない人達も多くなってきたようです。ご先祖様を迎えまつるためのお盆休みですが、自分たちの休暇だと考えている人もあるようです。

 また、万霊をまつるということなど、頭の片隅にもない現代人が多くなったようですが、命の源とは、家や一族のご先祖さまの発祥の時代よりも何億年もの昔です、そこから今に至るまで、あらゆる地球生命が連続しています、何億何万年もの時間を経た命の連続において、あなたも私も、そして生きとし生けるもの一切が、かけがえのない存在として命を授かり、互いの命を支えあい、生かし合うために、この世に生まれてきて、今、ここに生きています。
 だから生命に対する考え方も、人間の命・自己の命を基準に万物生命を見るのではなく、お盆には万物生命から人間の命・自己の命を見るという視点に変えてみることも意味のあることです。

 ご先祖さまと共に過ごす魂のふれあいであるこのお盆の行事を通して亡き人に語りかけ過ぎた一年をしみじみと振り返る、そしてこれから一年の誓いをご先祖さまにします。
 古代より伝承されてきたご先祖様とともに過ごすお盆の精霊まつりによって、命の尊さを認識して、ご先祖様の精霊に通じる仏心、すなわちやさしさの心を取り戻したいものです。
 命のおまつり、お盆は至福の祈りの一時です、心清めの一時です。

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