第84話   2006年1月1日
                  福楽

          もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、
         福楽はその人につきしたがう。
         影がそのからだから離れないように 
             ( お釈迦さまの言葉・ダンマパダより )

人として生まれた今を喜び、素直な心で生きましょう


 元旦の光に照らされる時、だれでも喜びの気持がわき上がるでしょう、生きとし生けるものも、山も川も草木も天も地もすべてが喜びに満ちあふれる一時です。
 この世の何もかもが、片時も同じ姿を止めていないから、すべてのものは日々刻々に新しい姿を見せているのですが、とりわけ新春を迎えるとなにもかもが新鮮な感じがします。

 山川草木のみならず、この世のすべてのものはみな変化をしています、生きとし生けるものも、人の命も朝露の日に照らされて消えるがごとくです、そして時の流れも速い、すぐに一年365日がたってしまう 「光陰は矢よりも速やかなり、身命は露よりももろし」です。変わらぬと思いこんでいる故郷の山や川でさえ、悠久の時の流れの中に同じ姿を止めていない、これを無常といいます。

 人はこの無常なることに気づくとき、はじめてやさしい心、おもいやりの心、人を信じまた許せるおおらかな心になれます。命の儚いことを深く思うことによって、かけがえのない命を慈しむ心がうまれます、ものごとの真実を理解しょうと思うようにもなるでしょう。

あらゆるものに手を合わせ、心かよわせ、共に生きましょう

 人の身体は六十兆個の細胞の集合体だそうです、そしていつも新しい細胞が生まれて、そして、一方で古い細胞が死んでいく、そんな生死の姿が私たちの身体です。今、人としてこの世に生まれてきて、ここに生きています、よくよく考えてみると毛髪一本も自分ではままにならないのがこの命です。

 そして細胞の一つ一つが、気の遠くなるような何億年もの長い時間の命のつながりの上に生きているんです、そして生きとし生ける命はことごとく、何かのかたちでみな関係しているから生きていけるのです。お互いに生かし合っているということですが、はっきりとした姿でそのことを確認できればよくわかるのですが、多くのものは無関係としか見えないのです。

 どんなものでもただ一つだけで存在できるものはありませんから、他の命に支えられ生かされている、だから、他とともに生きていく、他を生かせてはじめて自分が生きることができる、これは自然の道理です。
 自分と他の人との関わりにおいても、社会との関わり、自然との関わりにおいても、それは同じことです。この道理が軽視され、ないがしろにされているから、さまざまな問題が生じているのです、だから他を慈しむということが、同時に自分を慈しむことになります。

生きとし生けるものみなを、もらさずすくいたすけましょう

 教典に 「諸法皆是因縁生」 とありますが、この世の中のことごとくが皆これ因と縁によってできています、したがってこの世の中には一つだけで、自分だけで存在するものはない、すべてのものが関連しています、これが仏教の一番大事な縁起の道理です、だからよい因縁を結べば良い結果がみのり、悪い因縁を結べば悪い結果が生じます。

 縁起がよいとか縁起が悪いとかよく言われますが、縁起とは 「因縁によって起こる」 という意味で 「縁起をかつぐ」 だけではものごとはよくならない。幸福な生活のためには未来に待ち伏せしている悪因縁を事前に断ち切り、よい因縁の芽を見のがさず育てあげることです。

 「世のため人のために自己を忘れ、利人利他、感謝報恩の心をもって生きることによって無限の因縁に支えられ、その功徳の大きなことから果報として幸せは広大となる」 お釈迦様はこのように教えておられます。
 人生を暗くして、社会をけがすものは、自分さえよければ、他はどうでもよいという心、すなわち利己心です、利己心のために、広い世間も狭くなってしまう、利己心を除けば心ひろびろと日々を楽しくすごすことができるでしょう。

いつもいきいき、心静かに、ほとけ心で生きましょう

 なければ欲しいと悩み、あればなくなりはしないかと悩む、そんなお金や物の豊かさよりも、心の豊かさのほうが喜楽でよい。心豊かに生きるためには、常に生きる姿勢を正すことです、前向き姿勢で、背筋伸ばして、吐く息を整え、心静かにおちついて、こだわりがない生き方を常に心掛けることです、そして生きる姿勢がまちがっていないか、自己反省も忘れないことです。

 私たちの命は草の葉にやどる露よりも儚いものです、そして月日の過ぎゆくのはほんとうに早い、一年365日などまたたくまにたってしまう。それだから今日一日の命を大切にして、真実の道理に従った生き方、すなわちほとけ心に目覚めた生き方をすることです。たえず反省して、自己をみがき、すこしでも世のため人のためなるようにはたらくことです。

 かけがえのない命をいただいて、この世に人として生まれてくることができたのです、もうこれ以上に望むべきことも、不足不満をいうこともないはずです、人に生まれてきたことが善生最勝の生だからです。「 世の中は 今日よりほかは なかりけり 昨日は過ぎつ 明日は知られず 」 一度っきりの人生です、生死の流れの中に生かされているこの命を無常の風にまかせることなく、今を生きるということでしょう。

 世相がいかに複雑多岐であろとも、心豊かに心静かに生きたいものです、常に生きる姿勢を正して、前向き姿勢で、背筋伸ばして、吐く息を整え、こだわりのない生き方を心掛けたいものです。欲におぼれず、あたたかい心で、心静かに生きようとする気持を失わないかぎり、影がそのからだから離れないように、福楽はその人につきしたがう、そして人生は楽しく幸せなものとなるでしょう。
     
           身をつつしみ 欲におぼれず 
           あたたかき心もて 人々と交わり 
           常に生き生きとして 心しずかなる 
           その人に仏の姿を見る


 
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