第79話      2005年8月1日

命伝えのおまつり

お盆は、命つたえのおまつり、共生きのやさしさの心を取り戻す一時です


ウランバナ

 お盆の起源を2500年前のインドでのお釈迦様の頃にもとめる説があります。お釈迦様の十大弟子に目連尊者(もくれんそんじゃ)という僧がいました、修行により神通力という、何でも見通すことができる不思議な能力がそなわったそうです。

 目連尊者は神通力によって亡きお母様があの世で苦しんでいるのを知った、そこでお釈迦様の導きにより、修行期間の終わりに修行僧に衣食を供養したところ、亡きお母様がその苦しみから救われたと「仏説盂蘭盆経」に説かれています。その苦しみのことをインドの古い言葉でウランバナ(倒縣の苦しみ)と言いました、このウランバナが盂蘭(うらぼん)になって、お盆になったそうです。

 また日本古来の精霊迎えの風習が合わさって、これに五穀豊穣と一家の安寧の祈願も合わせ行われるようになったのがお盆のおまつりだともいわれています。
 お盆のおまつりの仕方は、地方によってちがいますが、精霊棚(盆棚)でまつるのは同じです、 新盆棚は別に作って縁側にまつるところもあります。

 盆棚を 霊座とすることから、おがらや竹で結界を設けるところもあります、そして竹に縄を張り、昆布、カンピョウ、豆、稲穂、そうめん、などを下げます。盆棚にはまこもの敷き物、その上に「水のこ」
(茄子やきゅうりのきざんだものと洗米と混ぜたもの)と「 あか水」(浄水でみそはぎの花をそえる)そして野菜などを供えます、関西では精霊迎えの初めに落ち着き団子を供えます。ホオズキは灯明のしるしです、キュウリの馬、 ナスの牛を子供といっしょに作ります、お仏壇から位牌を盆棚に移して、これで準備ができました。
 
精霊まつり

 お盆は精霊まつりです、目に見えないけれど、ご先祖の精霊をお迎えします。
 兵庫県の丹波篠山ではお盆にご先祖さまをお迎えするのに、竹と紙で作った手作りの盆提灯を持ってお墓に行きます。お墓を掃除して花や供物そして灯明を供えておまいりします、そして手にした盆提灯に明かりを灯して、「さあどうぞお帰りください」と念じて、盆提灯をささげ持ち、ご先祖さまの前に立ち、家まで足下を照らして我が家にご先祖さまを迎え入れます。

 お迎えはまだお日さまの沈まない明るい時ですから、迎え火の盆提灯はいらないのですが、そうして自宅までお迎えして、あらかじめお飾りした盆棚にご先祖さまをお招きします、そこで盆提灯を消して、盆棚のところに置いておきます。
 お盆をご先祖さまと2〜3日過ごして、またその盆提灯を灯して夜にお墓までお送りします。その盆提灯のもとにご先祖様がぞろぞろと連れだっておられる光景が目に浮かぶようです。

 でも最近は車での墓参がほとんどですから、歩いての先祖迎え、先祖送りが、道中は車になりました、盆提灯を灯して、車まで案内して車中は火を消して自宅に着けばまたそこで火を灯す、大勢のご先祖さまがある家では小さな車では乗せきれないのではと、思ってしまいます。
 送る時もまた車です、盆提灯を灯してお墓までお送りします。キュウリの馬で早く来ていただき、なすびの牛に乗ってゆっくりとお帰りいただくという、車時代になりましたが、そんな気持ちだけは残したいものです。

 お盆にはご先祖さまや亡き人が帰ってきます、先祖を迎えるおまつりは日本人の心のまつり、伝承行事です。子も親もお盆のまつりごとから学ぶことがとても多いのに、最近ではこのおまつりが簡略化されてきたようです。

命の源である先祖霊を迎える

 お盆に亡き人の精霊をお迎えして、あの世でなくこの世で共に一時を過ごします。やさしかったお父さんの顔が、あたたかいお母さんのぬくもりが、亡き人のにこやかなほほえみのお顔が目の当たりに浮かんできます。盆棚に灯明をあげて思わず話しかけます、亡き人やご先祖さまとの親密な関係がよみがえるのもお盆だからです。

 一番近い命は産み育ててくれた父母です、そしてそのそれぞれの両親すなわち祖父母と、そのまた先代と数えきれないはてしない先祖の広がりの中に、私が生まれてきたのです。
 さまざまなご縁のもとに自分がこの世に人として生まれることができた、不思議な命をいただいて、この世に生まれることができたのです。なんとすばらしいことでしょう、だから命は尊くて大切にしなければなりません、お互いに得難い命をいただいたのですから、互いを思いやらねばならない。

 お盆は命のまつりです、命の源である精霊を迎えまつるからです。命の源である先祖霊の精霊を迎え数日をともに過ごしすことによって、先祖から子孫に受け継がれていく命、その命を受け継ぎこの世に生まれてくることができた喜びを実感します。

 見えないものを見る、聞こえないものを聞く、霊が見えるとかそういう幻想を言うのでなく、それぞれの自分の命を感じること、自分の命の源である先祖に思いをはせて、先祖から途切れることなのない綿々たる不思議な命のつながり、命をいただいた縁により、この世に生まれてきたことを実感する、先祖への感謝の心が生まれてくる、これがお盆の一時でしょう。

お盆は命伝えのおまつり

 気の遠くなる時間を経て地球上に進化をとげた命が今ここに、人間の私として存在しています。命の源であるご先祖さまから命が途切れることなく伝わり、今、自分の命がある、そして先祖の命を受け継いだ私が子孫に命をつなげていく、だから、先祖迎えのおまつりであるお盆は命伝えのおまつりです。

 そして、どんな命でも、たった一つ、たった一人で生き続けることはできない、必ず他の支え、他の犠牲によって、他との関係においてはじめて生きてゆける、このことにも思いをはせるのもお盆でしょう。それで精霊棚とは別に、無縁仏を供養するための棚を作るところもあります。「のこ」と「あか」は施しの供物です、生きとし生けるすべてのものに施します。それは、共生きの喜びに感謝して、共生きの大切さを認識する、共生きの尊さを学ぶ、共生きの意味を知る、共生きがこの世の自然な姿であることを理解する、
お盆は、共生きのすべての命をたたえるおまつりでもあります。

 お盆は伝承のまつりです、近年この伝承が危ぶまれています、ご先祖さまの精霊を迎えてまつることをしない家庭がありますが、これは命の源である先祖霊にふれ、やさしさの心を取り戻す機会が持てなくなってきたことを意味します。伝承のお盆のおまつりをしましょう、ご先祖さまの精霊のみならず、無縁の精霊にも供養しましょう。

 お盆は命伝えのおまつり
です、生まれてきた喜び、生きている喜びが実感できる一時です、
命の尊さがわからない子供たち、命の尊さを忘れて生活している大人達にとって、安らいだ心境とあたたかな生命の息吹を精霊まつりで感じとりたいものです。
お盆のおまつりは、命つたえのおまつりです、共生きのやさしさの心を取り戻す一時です。

 
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