第78話   2005年7月1日

一つの命、生きている

雨あとの 畝にこぼれて根つきたる 一粒の種を 拾う幼子 


この子らと共に

 戦前戦後にわたり小学校の先生をされていた太田正二さんの著書に「この子らと共に」という本があります、戦時下での学童集団疎開生活のことが書かれています、まさに学童疎開の貴重な記録でもあります、終戦を疎開地の神応寺でむかえた、職員と生徒45名の耐乏生活の記録です。疎開児童の学校は京都桂小学校でその時の校長先生が太田正二さんでした、平成13年7月に88才で亡くなられましたが、ご命日が今年もめぐってきました。

 太田さんは、約40年間、教員をつとめられました、退職されてから「学童疎開の記録・この子らと共に」という本を出版されました。学童疎開の期間は、短期間でしたが、日々の出来事、食事内容にいたるまで詳細に記録した疎開日誌が残されていました 、当時の生活を裏付ける貴重なものです。 「この子らと共に」という本は、学童疎開のありさまをこの記録をもとに書かれたものです。

 窮乏生活をよぎなくされ、子どもらと寝食を共にして、苦しみと、悲しみに耐え、乏しい喜びを分かち合うなかで、子供達の哀れさ、かわいさ、わがまま、たくましさ、可能性と限界を知ることになる、その体験が教師である自分自身を変えたと 「学童疎開の記録 ・この子らと共に」の初めの言葉に書いておられます。


命、今、生きのびる

 太田正二さんの40年間におよぶ教員生活の中で、学童疎開は半年程度にすぎなかったけれど、この体験が、その後の教師としての基本の姿勢を形づくる基になったと、ご自身が述べておられます。

 
太田さんの教育にかける基本の姿勢とはなんであったろうか、それを理解しょうとして、戦前の国家体制下における教育と、戦後の民主主義国家における教育、そのちがいを論じて、単に教育制度の枠組みからとらえようとしても、その姿は見えてこない。
 また、先生は生徒にとって恩師だから上下の立場を大切にすべきであるとは、過去の時代のこと、生徒と先生との間柄は人間関係の一つであるから、その関係を良好なものにすることが、現代の先生と生徒とのあるべき姿であるという。そんな世情の上滑りな風潮からも、太田さんの教育にかける基本の姿は見えてこない。

 30代の若き時、戦時下の緊迫した時代に、約45名におよぶ、生徒と教職員の命を預かった、苦闘の日々においては、教育制度とか人間関係とか、人権だとかの問題意識すらもなかった、ただ命、今、生きのびることのみの日々でした。疎開生活をともにする教師と生徒、そして上級生も下級生も、お互いを思いやり、やさしさの心で励まし合い、慰め合いしながら窮乏生活に耐えた、すなわち温情の強い命の絆でお互いが繋がっていました。
 
命の絆が切れてしまったのでしょうか

  戦後60年経ちました、桂小学校の門は固く閉ざされ、頑強なフェンスでガードされた校舎の中で生徒達は学校生活をおくっています。最近学校内での事件が多いためです、でも外からの不審者の進入のみならず、学校の中で生徒の間でも殺傷事件が起きています。
 平成13年6月に大人の犯人が侵入し、8名の児童の尊い命が失われ、15名の 児童と教員が傷つた大阪府池田小学校の事件はまだ人々の記憶に残っているでしょう。 また今年の2月14日には同じ大阪府の寝屋川市の小学校でも17歳の卒業生が包丁を持って職員室を襲い、52歳の男性教師を刺殺し、2人の女性教師に重症を負わした事件がありました、いずれも外からの不審者の進入による事件でした。

 つい先日の6月10日、山口県立光高校で、授業中の教室に火薬入りのガラス瓶が投げ込まれ爆発し、生徒58人がケガをした、この高校の3年生の男子生徒が傷害の現行犯で逮捕されるという事件がおきました、これは同じ学校の生徒がおこした事件でした。
 そして低年齢の生徒の事件としては、平成9年の2月、当時14才の少年が小6男児を殺害して首を中学の正門に置いた神戸の事件は衝撃的でした、また昨年6月には11才の小学6年の女児子が同級生をカッターナイフで殺傷した長崎県佐世保市で起きた事件は、親しい友達間での出来事であり、同級生や校内関係者のみならず、全国的にも同世代の生徒やその親たちには大きな関心を呼びおこしました。

 近年、全国各地でこの種の事件が多発しています、いじめは日常茶飯のことです、さみしい不安定な気持ちで子供達の心は揺れ動いています、子育ての自信を失った親も多い。学校関係者においては自分のところでもこの種の事件が生じないだろうか、親たちは自分の子供が事件に遭遇しないだろうか、自分の子がこうした事件を引き起こさないだろうか、と不安や心配が尽きないようです。

 60年前の終戦時からタイムスリップしたとすれば、昨今の学校をめぐるこれらの事件のいずれをも理解することができないでしょう、豊かな国であるはずの日本で、なぜこのような事件が多発するのでしょうか。お互いを思いやり、やさしさの心で励まし合い、慰め合う温情の強い命の絆が切れてしまったのでしょうか。
 
輝く一つの命、今、生きている

 今日、世界各地には一日一ドルにも満たない生活をしている人々、安全な水が飲めない人々があまりにも多いのに、日本では大量の食料や水が捨てられています、本当に豊かな国なのでしょうか。空腹に耐えなければ生きていけなかった時代には捨てる食べ物はなく、わずかばかりの食べ物でも家族で分かち合った、粗末な食事でも母の味があった、もののない耐乏生活でも人々には希望とやさしさがあった、人情があった。

 学童集団疎開生活では何よりも食料を確保することが日々の仕事でした、畑を借りて芋や野菜を栽培しました、子供達はいつも腹を空かせていました。アララギ派の歌人、太田正二さんの歌です、「
雨あとの 畝にこぼれて根つきたる 一粒の種を 拾う幼子 」 畑に蒔いた野菜の種が一粒こぼれて芽吹いている、空腹の子供には食べ物に見えたのでしょう、活き活きとした子供の姿とみずみずしい一粒の種が芽生えた光景が見えてきます。

 草木も人も縁によりこの世に生まれてきた、たった一つの命です。子供の誕生、この世に「命」「生」を受けた瞬間に「オギャ」と我が子が発した第一声を、喜びと感動で親は聞いたはずです。太田さんは「命、今、生きている」このことを、教育の原点に置いておられたのではないかと思います。

 子供の成長過程において、親や家庭環境が子供のこころの発達に影響をあたえます。昨今、家庭において、親が子を虐待したり、子が親に暴力をふるう、家庭内でも傷害や殺人事件がおきています、教育の場である学校でも暴力、いじめ、登校拒否、など深刻な事態が生じています。親と子、教師と生徒との間柄を、ともすれば距離をおいた 「人間関係」として認識しようとするから、あたたかみのない冷え冷えとしたものになってしまう、そうでなく、温情の強い命の絆で繋がった間柄であれば、、思いやりの心、やさしさの心を失うことはないでしょう。

 今年は太平洋戦争終結から60年にあたります、そして学童集団疎開から60年目の夏です。「輝く一つの命、今、生きている」これが子育てや教育の原点でなければならないと、太田正二さんは現代人へ警鐘を鳴らしておられるのでしょう。

 

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