第73話   2005年2月1日
       三つの坂

     人間は死ぬ、どうじたばたしても、所詮いつかは絶対に死ぬ、
     ところが、生きている人間は、自分が死ぬものだということは、
     普段、全然忘れて暮らしている
   (リアリズム写真家 土門 拳
                

 
TSUNAMI

 スマトラ沖大地震と津波による死者がインドネシア、スリランカなど9カ国で20万人に達しました。インド洋で大津波が多くの人々をのみ込んだその日に産声を上げた子がいました。スリランカ北東部のトリンコマリー県のノナシダヤさんは海岸に近い入院先の病院から約200メートル流されたけれど助けられ、そのわずか5分後に女児を出産しました。偶然にいた看護師がお産を手伝ったけれど産湯もなく、へその緒を切っただけでした。奇跡的に授かった命です、大きな産声を上げたその子に両親は「TSUNAMI」(ツナミ)と名付けたそうです。

 母親は海岸線から約120メートルの病院に入院していましたが、12月26日午前9時ごろに、陣痛を和らげようと病棟の外を歩いていたところ、大津波に襲われました。 母親が入院していた病院は全壊し、他の妊婦ら約30人が死亡したそうです。その子の両親は「特別に授かった命だと感じます、みんな、この地で起きた悲しい出来事を忘れてほしくない」と話していたそうです。

 大津波に流されたけれど助かった、九死に一生を得た母親からこのツナミちゃんは生を受けたのです、まさに人身得ること難しです。生まれてくる環境や境遇を選択することはできません、生まれる前のことは誰も知らない、母親は大津波に流されたけれど助かった、ツナミちゃんは何も知らずにこの世に生を受けました、そして産声をあげたのです。

心の傷

 ツナミちゃんの母親は助かったけれど、受けたショックは大きかったでしょう、スマトラ沖大地震と津波で助かった人でも家族を亡くした人、住まいや生活の基盤や財産を失ってしまった人は150万人を超える、そして物の被災損失のみならず心の傷は深いものです。

  阪神大震災から10年を経て都市は復興しました、被災者が主人公であるNHKの朝の連続テレビ小説「わかば」で「人生、生きてるだけでまるもうけ」というセリフがありますが、今、生きている、それだけで幸せです、恐ろしくて悲しい阪神大震災の経験を語るセリフでしょう。新潟県中越地震被災地域の災害復旧も雪解けとともに本格的に始まるでしょうが、震災で受けた精神的な傷はいつまでも心の奥深くに残り、時にふさぎ込んでしまう方も多いでしょう。

 戦争も同じでしょう、イラクでの戦争は未だ続いています、おびただしい数の人命が犠牲になっています、イラクの国民の多くが精神的に不安な日々を生きています、平和が早く来ることを願って、はじめて民主主義の一票が投じられました、でもまだまだ平安な日々は遠いようです。一千名を超えるアメリカ兵も死にました、そして帰還兵の多くが戦争の恐怖体験から時に不安な気持ちが甦り、精神的な後遺症に悩み苦しんでいる人も多いそうです。
 
生きる意味

 経済効率を追い求めて日本は戦後60年をむかえました、経済成長の時代は人間性の喪失時期でもあったのでしょうか、バブルが崩壊して経済が低迷してくると、生きる意味を見失った人々が大勢出てきました、人々は生きる意味を考えることなく走り続けてきたのでしょう、中高年に自殺者が多いようです。人生とは、豊かさとは、善悪とは、そして命とはなにか、そんな根本的なことがらでさえも、親も子も深く考えることなく日々生活しています。

 経済効率一辺倒の社会であっても、これまでは村社会として地域の住民間で、また企業においてもそこに勤めるお互いが支え合ってきたから、悩みも苦しみも共有しあって耐えて乗り越えることができた。でも最近ではこのような人々の繋がりさえも弱くなり、消滅しつつあります。人の目が及ばなくなった社会では老人の孤独死や犯罪が多発している。犯罪に巻き込まれた人やその肉親の心の傷はなかなか癒されることはない、自然災害のみならず人災であっても人は一度受けた心の傷を癒し消滅できないのです。

 自律神経疾患は心の病として容易に回復しないものです、ストレスは解消されないと体調を崩すことになります。人間の生きる場は不安や危険と隣り合わせです、不安や悩みにおびえなければこの時代を生きていけないのでしょうか。
 
涅槃

 人には三つの坂があるという、幸福な上り坂、不運な下り坂、もう一つが、真逆、まさかと言う坂です。確かに何もかも順調にものごとが難なく日々平穏に過ぎてゆく時もあれば、なす事ことごとく思い通りに運ばず、さまざまな困難や不運に遭う時もある、そして思いがけず命を落とすこともある。天災や事故に遭遇しないという保証はありません、また病気によって若くして命を落とす者もあれば、天寿を全うして命尽きる者もある、いずれにしても生ある者は必ず滅ありです。

 生命体が死ぬことをお釈迦様は涅槃
(ねはん)に入ると教えられた、そしてまた涅槃とは、わがうちに燃え盛る激情の炎の消え去った状態であるとも教えられました。人間には他の生き物にない悩みとかストレスがある、それは、貧瞋癡(むさぼり・いかり・おろかさの心)の三毒の煩悩を捨てきれないからです、四苦八苦して心に深い傷を持ちながら生きている、深刻な悩みの憂鬱から抜け出せない人も多い、この三毒の煩悩を滅除して、悩み苦しみのない状態を涅槃という。

 現前の世界を、ありのままに見ましょう、あるがままに聞きましょう、こだわらずに生きましょう、そうすることによってすこしでも安らかで穏やかな生き方ができると、2500年前に80歳を一期とされたお釈迦様は、息を引き取られる最後の説法に、涅槃について説かれました。
 


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