第66話      2004年7月1日

 
                30000日 

  いたずらに百歳生けらんは恨むべき日月なり、悲しむべき形骸なり、たとい
 百歳の日月は聲色の奴婢と馳走すとも、その中一日の行持を行取せば一生
 の百歳を行取するのみに非ず、百歳の佗生をも度取すべきなり、この一日の
 身命は尊ぶべき身命なり、貴ぶべき形骸なりなり (修証義)


第一ステージ  0  〜10000日 0〜27歳

 一年365日ですがこれを一万日という区切りで見ると大変おもしろい。一万日生きると27.4歳になる二万日は55歳、三万日は82歳となる。

 この区切りを現代の日本人のライフステージとすると、そこからライフスタイルすなわち、「人生や生活に関する考え方」をはっきりとイメージできそうに思える。

 だれでも自分の一生の生き方を時系列で考えることがあるでしょう、来るべき未来に思いをいたし、また歩んできた過去をふり返る、そして今を考えるのです。若いときは今だけの享楽にふける生き方になりがちです、自分の生き方として、将来に思いをめぐらすというより、今が楽しければよいということかもしれませんが。

 まず0〜10000日、人が誕生して歩き出す、親に育てられ教育を受けて成人し、大人になる。仕事もするし恋もする、大人の人生経験をある程度積んだ時期、これが27.4歳の頃でしょうか、この年頃は婚期でもある。この0〜10000日が人生の第一ステージです。

第二ステージ 10001〜20000日 28〜55歳

 人生の第一ステージが終わる、27.4歳の頃に伴侶を得て結婚し、家庭を持って夫婦生活をいとなみ子供を産み育てる。子育ての時期であり、そして就業の時期です。体力もあり自己の能力技術を発揮して社会に役立つ仕事をする、充実した人生のもっとも輝く時期です。

 けれどもこの時期にある変化が起こっている、平成15年に73.5万組が結婚したそして一方では28.6千組が離婚している、結婚しない人や、離婚する人の数が増え続けている。そして晩婚化の傾向とともに、産み育てる子供の数も減少している、いわゆる少子化です。親と子の核家族化から、片親と子、単身者などの個化が進んでいます。

 20代、30代、40代、50代のそれぞれの輝ける時代の生き方が大きく変化しょうとしています。55歳で20000日になります。 28歳〜55歳までを人生の第二ステージとしたい。

 ほんの少し前まで人生は50年であった、百年前の寿命はせいぜい50年ですから、第三ステージに生きる人は少なかった。定年退職は50〜55歳であった。人は20000日の一生でした、それが今やもう10000日長く生きるようになった、現代は長寿社会です。

第三ステージ 20001〜30000日 56〜82歳

 したがって、この延長された10000日であるこの第三ステージをいかに充実した生き方をするか、これが高齢化社会の課題でしょうか。55歳を超えて82歳30000日を生きる、この第三ステージの生き方こそがそれぞれの人生の善し悪しを決定づける、ここが充実していれば一生一代が幸せであったといえそうです。

 その第三ステージが経済的にも恵まれたもであることを願う、老後のために蓄えたものもあるでしょうが、年金が今、世の中の最大の関心事であります、まさにこの第三ステージを生きる上での経済的補完であるから人々が年金の制度改正にことさらに注目する。

 30000日を生きるとは82歳を生きることであり、今の日本人の平均寿命が30000日であります。この第三ステージに至るまでは「何をもって幸せとするか。幸せとは何か」考える余裕もなく、日々があわただしさの中で、過ぎ去っていったようです。けれどもこの第三ステージでは自分自身が「幸せとは何か」をつかんでないと、日々無味簡素な日暮らしになってしまう。

 人の一生のさがしものは「幸せとは何か」です、たぶんそれは「人は救われる仏に生まれてきて、救う仏になるために生きる」ではないでしょうか、このことを第三ステージのはじめに体得して、第三ステージを「生まれてきてよかった、生きてきてよかった」で終えたいものです。

第四ステージ 30001〜40000日 83歳〜

 さらに長寿の人は30000日を超えてさらに生き続けることになります。これはもう「おつり」のようなもので、ほとんどの人は30000日も生きられない、たとえ生きながらえても要介護の状態で、自分の力だけで生きていける人はほんとうに少ない。

 30000日を超えて40000日に近づいてる人がいる、104歳の永平寺の宮崎奕保禅師がテレビで紹介された、「学ぶとはまねること、一日仏さんをまねることは一日学んだこと、毎日まねて、一生まねればそのうちほんまもんの仏さんになる」、そのような信念で、今も日々200人の若い修行僧と寝食を共にされている。

 孫みたいな僧侶と寝食をともにして、招請されれば全国各地へも行かれる、驚異的な生命力です。104歳の禅師も60歳の頃に病に倒れられ死の淵からはい上がってきたという体験を語っておられた。

 命は天から授かったものだから、我が身ながらに大切にしなければ、受け難き人身を受けた意味をなさない。

   (宮崎奕保禅師は2008年1月5日に満106歳で遷化(せんげ)されました 
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