| 修証一等 | |||||
行の招く所は証なり、自家の宝蔵外より来たらず。 証の使う所は行なり。心地の蹤跡(しょうせき)豈(あ)に 回転(るてん)すべけんや。 道元禅師・学道用心集 |
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二千五百年前のインドでのことです。夜の明けるのにともない、小鳥たちが一斉にさえずり始めました。まわりの木々のざわめきも、天空の雲の動きも、吹き抜ける風も心地よい。これまでに感じたことのない感動と、喜びの気持ちがお釈迦さまの全身にみなぎっていたのです。 菩提樹の下で坐禅をなさっていたお釈迦様は、夜明けをむかえられた。東の空が白む頃にひときわ輝く明星が目にとまった。そして夜が明けてあたりがすっかり明るくなったとき、お釈迦さまは明星の輝きも、山川草木も、生きとし生けるものすべてが輝いていることに感動されたのです。 お釈迦さまは、迷いを離れてさとりに至られるのに六年もの苦行をなさったと伝えられています。それは苦からの脱却でしたが、苦行によっても苦からのがれることができなかったのです。苦とは、自らの苦であるのに、思いどうりにならないのが苦というものです。明星の輝きとともに、宇宙の真理に目覚められたことで、苦から解脱されたのでした。 お釈迦さまは宇宙の真理に目覚められたのです。「我と大地と有情(うじよう)と同時に現成す」。現前のすべてが、さとり(真理)を露わにしている。現前のすべてに、さとり(真理)が現れている。お釈迦さまは宇宙と一つになられ、身心脱落、脱落身心されたのでした。 |
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宇宙と人生とをつらぬく真理をさとる
大地にしっかりと坐禅されたお釈迦さまは、宇宙そのものになりきっておられたから、宇宙のまっただ中におられるお釈迦さまも、満天に輝く星の一つでした。それで明けの明星が輝いたその時に「我と大地有情と同時現成す、草木国土悉皆(しっかい)成仏(じようぶつ)、一切衆生悉有仏性(しつうぶつしよう)」をさとられました。お釈迦さまがおさとりになった感動の瞬間でした。 天空の星々、山川草木、生きとし生けるもの、現前のすべてが真理の現われた存在である。過去、現在、未来、いつでも、仏性は露(あらわ)であり、真理が現われている。そのありさまを、そのままに受けとめられ真理と一つになられた、それがお釈迦さまのおさとりです。 ことごとく真理が現れたり。ことごとく仏性、露(あらわ)なり。お釈迦さまは心の叫びを発せられた。この感動がお釈迦さまのおさとりでした。 この世とは宇宙そのものであり、その宇宙の始まりから宇宙の終わりまで、ちっとも変わらない真理が仏性です。同時とは過去、現在、未来、いつでもということで、悉有仏性とは、存在するものことごとくが仏性であるということです。そして、宇宙と人生をつらぬく真理そのものが仏性です。 宇宙と人生をつらぬく真理をさとられたお釈迦さまのご様子を、道元禅師は、「釈迦牟尼仏大和尚、菩提樹下にあって金剛座に坐し、明星を見て悟道して云く、明星出現の時、我と大地有情と同時成道す」と永平広録に記されています。 お釈迦さまのことを仏陀といいます、目覚めた人ということです。お釈迦さまは悉有仏性をさとられました。お釈迦さまのさとられたものが法です。法とはこの世の真理のことです、それでお釈迦さま(仏)のさとられた真理を仏法といいます。宇宙と人生をつらぬく真理が仏法です。 |
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2025年8月から2026年1月までの5月間、国際宇宙ステーションに滞在された由井亀美也さんは、活動の合間に多くの写真を撮られた。由井さんの宇宙での滞在中は太陽の活動が活発な時期にあたり、多くのオーロラを見ることができたそうです。オーロラは太陽表面で起きるフレアとよばれる爆発現象の影響で発生するという。地球を覆うカーテンのように輝く赤と緑のオーロラを撮影してSNSに投稿された。 また国際宇宙ステーションは高度四百キロの気象衛星より遙かに近い距離で宇宙から台風の映像をとらえられ、雲の厚みもよくわかることから、台風の猛威を肌で感じることができたといわれた。宇宙から人の目で地球を見て、何かを感じてそれを伝えることに意義があるとされたのです。 国際宇宙ステーションから夜の地球を見下ろすと、都市の明かりが地上を埋め尽くすような光景に出会われた。紛争地域では爆発による光が見えたりしたこともあったという。人々はどのような暮らしをしているのか、みんな幸せだといいなと思ったり、滞在する国際宇宙ステーションという空間に、地球の平和を考えるヒントがあると感じたという。 由井さんは 「宇宙に行くと宇宙というものを世界の一つとして認識できるようになる」 「国際宇宙ステーションで考え事をする時間があると、人生のことも考えるし、宇宙全体のことも考えるし、地球や平和のことも考える。地上では考えなかったことを考えるようになりました」と話されました。 大宇宙に存在している国際宇宙ステーションからみると、地球は大宇宙の中の小宇宙に見えたでしょう。そして、地上に帰還された由井さんの目から見ると、人も山川草木もことごとくが大宇宙の中の小宇宙である地球の、ありさまそのものであると、あらためて思われたでしょう。 |
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| 仏となるときは釈迦牟尼仏となるなり 存在するものは、ことごとくが変わらざる真理の性を有するから仏性です。すなはち、宇宙の星々も、地上の山川草木も有情のものも無情のものも、人も微生物も、変わらざる真理の性を有しているからことごとくが仏性です。仏性が露わで真理が現れている(現成している)ものが仏ですから、存在するものことごとくが仏です。宇宙はそのまま仏であるとして、ある祖師は宇宙の真理を象徴するその仏を盧舎那仏、大日如来といい、またある祖師は光明遍照の太陽を阿弥陀如来といわれた。 仏性は天地いっぱいに満ちているから、森羅万象のいかなるものも仏性でないものはありません。この天地、宇宙がそのままに仏性です。この世は仏性という大きな宇宙であり、ことごとくが仏性である。生かされている生命は仏性です。坐禅は宇宙そのもの、仏性そのものになりきることです。宇宙の真理と一つになる、それがお釈迦さまの坐禅であり、それは修行とさとりが一つのものであるということです。この世は仏性で満ちているから、坐禅するところ、「放てば手にみてり、一多のきわならんや、かたればくちにみつ、縦横きわまりなし」と道元禅師はいわれました。 私たちは、さとりの世界にありながら、この世がそのままにさとりの世界であることを知らないでいます。あたかも、真っ暗闇の崑崙(こんろん)砂漠に黒い球が飛んでいくようなものであり、黒い玉は漆黒の闇に溶け込んでその存在がわかりません。また白銀の雪原に一羽の白鷺がいるけれど、見分けがつきません。けれども漆黒の闇に黒い球がとんでいるのであり、白銀の雪原に白鷺は生きています。それぞれ存在しており、いずれも溶けこんでいるのです。 大宇宙の中の小宇宙が自己です。真っ暗闇の崑崙砂漠は大宇宙のさとりの世界であり、黒い玉は小宇宙の自己である。白銀の雪原が大宇宙であり、さとりの世界です。その中に生きている一羽の白鷺が小宇宙の私たちの日常の姿です。さとりの世界がそのまま日常の世界であり、日常生活である行住坐臥がそのまま修行でありさとりです。 「行の招く所は証なり、自家の宝蔵外より来たらず。 証の使う所は行なり。心地の蹤跡(しょうせき)豈(あ)に 回転(るてん)すべけんや。」 「修せざるには現われず、証せざるには得ることなし。」 修行あるところ証(さとり)ありで、修行とさとりは一つのものである、修証一等であると道元禅師はいわれました。そして仏となるときは釈迦牟尼仏となるなりと、私たち自身がそのまま釈迦牟尼仏であると教えられたのです。 |
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