2025年5月1日 第316話
             
四大不調

       牧者の杖を以て牛を牧場に駆る如く
      老いと死とは有情の寿命を駆る 
法句経135



緊急入院

 朝の境内掃除をすませた後のことです。ソメイヨシノが咲きますと日本ミツバチの繁殖の時期をむかえます。ミツバチは植物にとって受粉に欠かせない昆虫ですが近年様々な原因からその数が減少している。蜂たちの住環境を助けるために境内に人工の巣箱を置いてます。そのうちの一つがかなり傾いていたから雨除けの上にのせている重い石を上げ下ろして巣箱を置き直す作業をしました。

 朝食のあと用便に行くと下血がありましたが痛みもないことから、長時間にわたり霊園の除草剤散布作業をしました。終わってお腹にやさしいものでと、おそい昼食に饂飩を食べました。そして便所にいくとまた鮮血が出たから午後は安静にして過ごしました。
 早目にやわらかいもので夕食をとって軽い入浴をして寝る前に便所にいくと今度はかなりの出血があり気を失ってしまいました。気づくと床に倒れていたが起き上がり便座に座り、落ちついたので家内を゙呼び、かかりつけの病院に電話をしましたが担当医がいないからと救急車をすすめられました。だが明日は京都市内で早い時刻での葬儀をつとめることがあり代役の副住職は遠方に出かけて帰れないから、気分もさほど悪くないのでその夜は自宅で寝ることにしました


  翌朝柔らかいものを少し食べ、不測の事態を考慮して家内を助手席に乗せ、往復自分の運転で行き、なんとか葬儀をつとめました。帰宅して、昼食もとらず、かかりつけ病院に自分の運転で行き、受け付けをすませ血圧を測ると驚くほどの低さにて即入院となりました。出血量からすると危険な状態であったのかもしれません。

 入院時に腹部のレントゲン、エコー、CT検査を受けました。止血剤や栄養補給の点滴が続き、加えて二日にわたる輸血の後に2度の内視鏡検査を受けた。出血が止まったか否かの確認と、そして出血の原因の特定であった。2度目の内視鏡検査の結果担当医から所見を聞きました。出血も止まったことが確認できたから、点滴もなくなり食事もとれるのようになり、体力気力ともに回復してきました。絶食が一週間続いたからかなり体重が減りました。

病床六尺

 近世において文章の執筆は手書きかタイプライターであったが、おおよそ40年前頃からワープロが用いられるようになり、私がはじめて自分の小型卓上ワープロを買ったのが東芝ルポという、デイスプレーがたた一行のものであった。それにくらべるとスマホは大画面である。ただ太く大きな指の老人にはいささか使い勝手が悪いのです。
 けれども手の平サイズですから思いつくまま病床で、いつでも書ける。病室でスマホで書いた原稿が自宅のパソコンに同期送信されるからとても便利です。私はこれまで二日程度の入院はあったが10日を超える入院は初めてです、気分のよい時に病床で法話を書くことにした。

 病床ではスマホ一つあれば思いつくままに文章が書ける、受発信できる、情報が得られるからありがたい。ただ病室にはWiFiがないから長時間、ネット上の文章を読んでいると容量不足となる。
 ほととぎすの歌人、正岡子規は病床にあって、「真砂なす数なき星の其の中に、吾れに向ひて光る星あり」、と詠んだが、私の病室の窓には月ががやいていた。星を眺める正岡子規の気持ちがわかるような気がしました

 仏教で四大とは地水水風で、地は固いもの、水は湿ったもの、火は熱、風は動き、これらは物質の構成要素で、人間の身体も四大によりつくられている。地は骨・肉、水は血液・水分、火は体温、風は呼吸など、それでこの四大のバランスがくずれることを四大不調という。
 生物学者の福岡伸一さんによると生物が食べるということは、カロリー補給とともに、細胞の分子が置き換わる、これが動的平衡だという。 栄養バランス、ストレスなどの影響により動的平衡が乱れると四大不調になる。

 生命体が生きているのは動的平衡の一瞬の連続ということでしょう。生命はさまざまな分子により構成されたものである。鉄分が不足するだけでも四大不調となる。血液の量が不足するから酸素の量も減り息苦しく少しの体の動きでもしんどいと感じる。
 今回のように大量出血すると四大不調の兆候がはっきりしてくる。酸素や鉄分など、これは宇宙の分子です。人体も、あらゆる生物も宇宙の分子で構成され、この地球上に只今存在し、やがて滅していく限りあるものばかりです。そしてことごとくが関係して存在している。
 生命体はさまざまな分子により構成されている。そして一つの生命体はさまざまな生命体と関わりながら共生きしている。このことを感じさせられたのも大腸憩室出血による四大不調を体験したからでした。


滋味栄養

 絶食七日ぶりに食事しました。150グラムの重湯と吸い物、そしてりんごジュースです。胃袋のみならず全身にしみわたる。食することができる幸せを感じる。食することは生きること、生かされるということです。天地万物いっぱいの仏のめぐみに合掌礼拜です。

 ”絶食の幾日たちて重湯なる、身にしみ入りて美味し尊し”

 だが体調の回復とともにこの謙虚な心もしだいに忘れて、むさぼり心がはたらきだし、美味しいものが食べたいなどと勝手心がすぐさまはたらきだす。重湯は銘酒よりもうまし、と思うのもつかの間、旨し酒と肴に心はそぞろなり。なさけないことこれ凡夫の浅はかさなり。


 重湯とはたくさんの水で米を煮てとった汁、十倍の水で粥を煮た上澄みのもので、古来よりの病人や乳児の食事です。粥は重湯と炊き方から違う、また白飯は粥の味とも異なるから、同じ米でも料理の仕方によって味わいが異なる。病人食を食べてはじめてその違いがわかる

 ”重湯より輝き白し薄粥を、眺むるままに命味わう

 修行道場での食事は作法に基ずきます。その食事の時に感じることですが、お米、野菜それぞれの持ち味が感じられる。それはそれぞれ食材そのものの味であり、命の味でもあるのでしょう。ところが道場を離れた食事ではこのことが感じられない。それはなぜなのか。確かに食材が料理されているから命の味に違いはないのです。基本的には、食事とは生活すること働くためのカロリー補給です。友達や家族の団欒のひと時、旅先なと非日常での食事、特別な日あるいは特別な人との食事においては高価なメニューと雰囲気とが合わさっての食事となる。凡夫のことですから、欲の感情がはたらき、舌鼓に、会話に気持ちが集中して命の味を忘れてしまうのでしょう。

 ”白めしの箸でいただく重さこそ、その味深くありがたきかな”


 世上ではお米の価格高騰と品不足、農政や生産効率のことがニュースで報じられていますが、生命体がお米という生命を食する意味について人びとは関心を持たないようです。


生命躍動

 病室の下の国道を走る車の音で目が覚めた。起きなければと久しぶりに思った。昨日までは体がしんどいから起きなければなどと思わなかったけれど、回復して活力がもどってきたからでしょう。四大不調とは気力体力ともに衰えるということでしょう。病でなければ日常の騒音などさほど気になりません。起きて日常のつとめをしなければと思うのも元気になってきたからでしょう。日頃は目が覚めたら今日はあれこれしなければと、今日一日のことを考えてしまうけれど、病室では今日はゆっくり療養するのだと、旅先での朝の目覚めのような気持ちになる。体力の回復とはそういうことででしょう。 

 目覚めとともに夜勤の看護士さんのあわただしい一日が始まると感じるのも、病人に日常がもどって来たからでしょう。しんどい時は看護士さんのお顔を見ることもないが、体力気力の回復とともに、顔を合わし会話するという人間関係ももどってきた。病人の時はすべてが自己中心ですが、元気を取り戻すにつけて、相手を思いやれる余裕もでてきた。
 世間の動きについても、スマホで、ニュースを見、大谷翔平の昨日の成績や京都サンガの試合の結果にも関心をよせるのは、元気がもどってきたからで、大谷翔平の第一子誕生も嬉しいニュースです。
 二日にわたる輸血と、透明にちかい重湯とりんごジュースを食しただけなのに、いくぶん動悸はあるものの、データにおいて、血圧も脈拍も体温も酸素量も回復しつつある。朝の洗面もできるようになりました。

 生命進化において、動物の臓器は腸から始まったそうですが、日頃は胃を気づかうことがあっても腸には無頓着のようです。たが今回の入院で腸への心配りをせねばと思うようになりました。大量の出血があったけれど、大事にいたらなかったことは幸いでした。

 入院生活が続いたから退院にそなえてリハビリ指導を受けました。ベッドから離れない日が続き、自歩行で便所に行けない日もあったが、筋力も平衡感覚もさほど衰えることなく日常生活活動に支障なしと指導員さんから評価をいただき安堵しました。病院の方々に支えられ元気を取り戻すことがでたことに感謝しながら退院しました。

 入院の時はソメイヨシノの花びらがハラハラと散っていた。八重の桜、山桜が咲き乱れていた。病室の窓から眺める市街地の向こうに見える山の景色には、それほどの変化は確認できないが、点在して咲く山桜の薄紅が消え、今年も桜の季節が終ったと思いました。
 11日ぶりに寺に帰ってみれは、わずかの時間の推移にすぎないのに景色が一変していた。桜の季節から新緑の光景に変わっていた。黄色のヤマブキが咲き、シヤガなど初夏の花へと移り変わっていたことに、生命のダイナミックな躍動を実感しました。
 植物のみならず昆虫も生命躍動の繁殖の季節である。いくつか設置しておいた巣箱の一つに日本ミツバチの群れが来て住みついていた。それは下血で入院するきっかけになったかもしれないことの一つである巣箱の上の重い石の上げ下ろしをしたその箱であつた。命のつながりの中に万物生命は互いに関係しながら生かされているという、生命の躍動を感じました。


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