2023年6月1日 第293話
             

     山のはの ほのめくよいの 月影に
       光もうすく とぶ蛍かな
 
   
道元禅師
  

散る花の枝にもどらぬなげきとは、思いきれども思いきれども

 人の一生とは、出会いであり、別れである、ということでしょう。自分がこの世に生れてきた、それは父母の出会いがあったからです。だが命には限りがあるから、父母との別れの時が必ずやってきます。いずれが先か後か、それはわからないけれど、出会いがあれば別れがあります。

 人は人により育てられるから、出会いが人を育てます。出会いが新しい発見や体験をもたらします。出会いが幸せをつくります。だが、出会いが不幸の始まりということもあるでしょう。人には個性があるから、自と他には相性があります。相性がよければ、人間関係もよろしいが、相性が悪ければ幸せが得られないかもしれません。出会いが不幸の始まりだということです。

 人間とは世の中であり、世間のこと、人の住むところ、人と人とのつながり、と広辞苑にあります。人は他と関わりながら生きていく、すなわち人間関係をもって生きています。また、人のみならずあらゆる生命とも関わりあうことで存在しています。この世は関係で成り立っているのです。人間関係のもとに人は生きていけるのですが、人間関係においては、喜びも楽しみもあり、悲しみも悩みもあるということでしょう。

 この世は縁によって成り立っています。あなたが今ここにいるから、私がいます、私がいるからあなたがここにいるのです。縁起によるというのがお釈迦さまの教えの根本です。存在するもは一時の現象であり、すべては変化していくから、不変の存在はありません。尊い命の束の間の出会いだから、その縁を大切にしたいものです。
 一茶の歌に「散る花の枝にもどらぬなげきとは、思ひきれども思ひきれども」とある。出会いがあれば別れがある、喜びも悲しみもあり、悲喜こもごもが人生です。幸せも不幸も一時の現象だから、一喜一憂することもないということでしょう。

逢うてわかれて、わかれて逢うて、末は野の風秋の風、一期一会のわかれかな

 会うは別れの始まりで、出会いがあれば必ず別れがあります。死に別れ生き別れのいずれであっても、出会いの喜びに比べて別れはつらいものです。「一人酒場で飲む酒は別れ涙の味がする」とか、「酒は涙かため息か、こころのうさの捨てどころ」と歌の文句にあります。別れのつらさは酒で癒やすことさえできないのです。

 出会いがあれば別れがある。この世のことごとくが同じ状態をとどめないから、無常である。人身とは壊れやすいものであり、やがては消滅するものであるから、固定した実体のないもの、無我です。自分自身との別れ、すなわち死はいつおとずれるかわかりません。
 「世の中は今日よりほかはなかりけり、昨日はすぎつ明日は知られず」、我が身は朝露のごとしで儚いものであるから、出会いと別れは、只今の一瞬であって、すべからく一期一会です。

 「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、又かくのごとし」と、平安末期の歌人である鴨長明が、世のすべてのものは常に移り変わり、いつまでも同じものは無しと方丈記に記しています。人の生活の衰退を、水の泡沫と同じだと歌われたのです。

 別れには生き別れも死に別れもある。会者定離とは、出会いの時があれば、必ず別れの時があるということです。「逢うてわかれて、わかれて逢うて、末は野の風秋の風、一期一会のわかれかな」と古歌にあります。しばらく心を無常にかけて、世のはかなく、人の命のあやうきことを忘れざるべしです。無常のありさまが、感動という琴線を震わせることもあるから、無常を楽しむことができれば、一期一会は喜びとなるでしょう。


雨あられ雪や氷とへだつれど、落つればおなじ谷川の水

 天変地異による人の命や財産の喪失は、悲しみはあれども大いなる自然の力の前には人間の力などはちっぽけなものだと人間は理解しているから、天地自然に畏敬の念をもつけれど、憎悪の念をもつことはない。人は天地自然のもとに生れ、その恵みにより生きていける、そして死してまた天地自然に帰るのです。
 人間の歴史は戦争の繰り返しです。文明の進化は強烈な破壊力をさらに増大させ核兵器の恐怖にさらされている。独裁者の傍若無人な振る舞いによってその恐怖は現実のものとなっているのです。戦争を終結させることにおいても利害損得の選択肢がはたらきます。それは人間の浅はかさというべきでしょう。

 今起きているウクライナへのロシアの大義なき侵略戦争は、終わりが見えない泥沼におちいっている。多くの人命が失われ、人々の平穏な幸せな日常生活が奪われ、悲しみと憎悪が増すばかりです。それを終わらせなければならないのですが、話し合いで解決できると人は信じていますが、話し合いで戦争が防げて、また終わらせることができるのには、勝るとも劣らない力の背景が必要なのかもしれません。あるいは愚かな人間の行為には愚かさを知っている人間にしか手出しができないから、格外の人物の登場を期待するところです。

 諸悪莫作、修善奉行とは、悪しきをなさず、善きをなすことで、お釈迦さまがお出になる前からの教えです。悪を知ることが善を知ることであり、善を知ることが悪を知ることです。憎悪は憎悪を招くことを知っているのも人間です。戦争を終わらせるのには長い月日がかかるかもしれませんが、平穏な環境を保つことができるのも人間であると信じたいものです。

 砂上の楼閣は大波により跡形もなく消え去る、気を取り戻してより強固な楼閣をつくる。けれどもまた大波により消滅してしまいます。天変地異による被災や、また戦禍に遭遇することも、出会いの一つかもしれません。
 ロシアであろうがウクライナであろうが、同じ地球上にあります。国境とは人間が設けたもので鳥は自由に行き来しています。人種や宗教、主義主張が異なっても、同じ人間の世のことです。
 ウクライナの国旗は、真っ青な空のもと、肥沃な大地に麦が実り、ヒマワリの黄色の花が果てしなく一面に輝いているさまをあらわしたものでしょう。一日も早く戦火がなくなりウクライナに平和な日常が戻ることを願ってやみません。

山のはの ほのめくよいの月影に 光もうすく とぶ蛍かな

 「山のはの ほのめくよいの 月影に 光もうすく とぶ蛍かな」、夕闇がせまって、山の端に月はまだ上らないようであるが、ほのかな光が見える、蛍が飛び交っている。そんな光景が目に浮かぶ道元禅師のお歌です。

 蛍は命を受け継いで今を生きています。放つ淡い光は束の間の生きているあかしです。求愛のしぐさと人は見るけれど、蛍は生かされていることすら知らないのか、ただ今を生きている。命短しと嘆くこともなくひっそりと淡い光を放つ。命の限り放つ光だから美しいのでしょう。

 人間は蛍の生きられる環境を破壊している。蛍が生きられる環境を保つことと、命を奪い無謀な破壊をもたらす戦争を起こさせないこととは決して無関係でないはずです。生かされていることを知っているのも、人間だからです。

 一期とは人間の一生のこと、一会はただの一度の出会いです。点滅する蛍の淡き光は短い命の輝きであり、一瞬の出会いの輝きです。蛍が飛んでいる、その淡き光を目にするのも一瞬のことであって、飛び去れば、もはや目にすることもない。蛍の淡き光は、一期一会の渾身の輝きです。

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