2023年2月1日 第289話
             
空・0・色

   観自在菩薩の行深般若波羅蜜多時は、
   渾身の照見五蘊皆空なり。
   五蘊は色・受・想・行・識なり、五枚の般若なり。
   照見これ般若なり。
   この宗旨の開演現成するにいはく、
   色即是空なり、空即是色なり。
   色是色なり、空即空なり。
   百草なり、万象なり。
                 正法眼蔵・般若波羅蜜


諸法実相

 人体は細胞でできている、その細胞は様々な分子でできている、その分子もいくつもの原子がつながってできている、この原子は原子核とその周りを電子が飛んでいる、これらの微小なものが素粒子です。
 人体は60
が水です。水を除くと炭素原子が50、酸素原子が20、水素原子10、窒素原子8.5%、カルシューム原子4、リン原子2.5%、カリウム原子1、などから構成された生物体です。1のカリウム原子が不足しても体調不良になります。これらの原子はいずれもが宇宙の星に存在していることから、人体は宇宙人だということでしょう。

 現在の最先端科学技術をもってしても生命体をつくり出すことはできません。微生物一つも、植物の葉一枚もつくれないのです。植物が光合成により有機物をつくりだすプロセスにおいて、量子力学的な働きがあることがわかってきたから、植物は量子コンピュウーターであるといわれます。

 物質は原子や電子で構成されていることが解明されました。これらの微小な粒子は量子と名付けられ、量子の動きを研究するのが量子力学です。分子や原子あるいはそれを構成する電子などを対象とし、その微視的な物理現象を記述する力学です。この世界、この宇宙とはいったいどのようなものなのか、この世界の本質とは何かということを探求するために、量子力学の研究が進化しています。仏教ではこの世界の本質を諸法実相という言葉であらわします。お釈迦様の時代には量子力学など存在していませんでしたが、この世の全体を諸法実相といわれたのです。

 すべてのことの始まりは138億年前に時間も空間もない一点のエネルギーがビックバーンしたことにより、宇宙が始まり、今も膨張し続けているということです。始まりがここにあるから、宇宙全体が一つのものだということでしょう。電子や光子などという一つ一つの小さな粒子も、私たち人間の一人一人、存在するあらゆるもの、いずれもが宇宙の全体の一部として存在しているということです。仏教における諸法実相とはこの世の本質のことです。物質は原子や電子で構成されており、人体も同様です。したがって宇宙の本質を知ることは、人間とは何かを知ることでもあるのでしょう。

顚倒夢想

 マイクロスケールの世界に存在している量子は、私たちが生きているマクロスケールの世界の常識とは異なる不思議な動きをしているという。光は人間が観測していると物質である粒子であり、観測していないと波の状態だというのです。光は粒であり、波であるということです。実験によると人間の意識的な観測行為が量子に影響をあたえるというのです。量子力学の大きな発見の一つが、光子や電子などは粒子と波動の性質をあわせもっている二重性についてということです。物質は極微小の原子や電子などの量子で構成されています。どの物質も宇宙全体の一部であり、人間の意識も宇宙全体の一部だから、人間の意識的観測行為が量子の状態に影響を与えるということかもしれない、ということです。宇宙が一つの全体であるならば、その本質とはどのようなものでしょうか。

 量子は宇宙規模のレンタリング技術だといわれる。ビデオゲームのレンタリング技術、すなわち、データ・情報をもとに、処理や演算によって整形した画像や映像や音声などを生成して表示した、立体的な3D仮想世界がビデオゲームです。なぜ光は粒子と波動の性質をあわせもっている二重性になっているのか、その確信を突くような答えはまだでていないのですが、ビデオゲームの仕組みがそれをあらわしているというのです。ゲームではプレイヤーが観測しているところのみが描写されて、見えていない部分は観測されるまで3Dモデルの情報として保存されているから、このレンダリング技術は粒子と波動の二重性、観測者問題とまったく同じだというのです。

 般若心経では、私たちが見えている、感じているものは、すべてが固定した実体のないものだという。私たちが見えている、感じている全てのものを色というが、固定した実体の無いものだから、それは空であるとする。これはVR(仮想現実)やAR(拡張現実)という概念と似ています。私たち人間は五感で、この世界を感じ取り情報を脳に取り込み認識しています。般若心経での五蘊(色・受・想・行・識)です。ですから、私たちは脳が作り上げた仮想現実や拡張現実の中で生きているのかもしれません。

 光は人間が観測していると物質である粒子となり、観測していないと波動の状態だという。人間が観測しているから目の前にあるものは粒子として実体化しているが、見えていない背中の側は波動の状態にあるということです。この世界はビデオゲームの中と同じような仮想現実であり、私たちは仮想現実の世界に生きているのかもしれません

 ビデオゲームがもっと高度になっていくと数十億人がオンラインでつながるというハイパーリアルなビデオゲームになっていくでしょう。人間が現実と区別がつかないゲームをコンピューターシュミレーションによって創り出すとしたら、この世界は仮想現実そのものとなるでしょう。この物理的世界が仮想現実の夢のような世界であるとすれば、人間はどのように生きればよいのか、ということです。

因縁生起

 この世の事象はすべて縁起生、縁起滅である。因縁により生起しているということで、原因と条件・縁との絡み合いから、果、すなわち結果します。原因が同じでも、条件・縁が異なると、果は異なるでしょう。ここでは具体的な例をあげませんが因縁によりあらゆる事象は生滅しているということです。

 縁起生滅ですから、固定した実体は存在しない、すべてが空ということです。したがって般若心経では、固定的概念を否定します。五蘊とは、色・受・想・行・識で、色とは現象のことです。それを受けとめて、それを感じて、分析をする、そして行・いろいろ考えて総合していく、そして認識に至るということです。ところが空であるから、この認識を否定します。
 空であるから感覚器官である眼・耳・鼻・舌・身もなく、したがって、色もなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れるものもなく、意識の対象もないということで、般若心経は空、0であると説いています。空は0ですから、何にも無いということであり、何でも有るということです。

 意識とは一体何か、意識を数式で表したり、量子力学でも解明できていません。犬や猫には意識がありそうですが、犬や猫についても、生きもの全てに意識というものがあるのか、はっきりわかっていません。
 人間が言語を使うのは意識にもとずいてのことでしょう。あるものについていだく意識内容である観念は、複雑な神経情報が結びつけられて一つの観念となる。人間は感覚器官である眼・耳・鼻・舌・身でもって、色、音、臭いなどの無数の感覚をとらえます。それらは脳の中の神経細胞で、信号に変換された神経信号として伝達されて、それぞれの情報がひとまとまりの認識を生み出します。それで、人間の脳は量子コンピューターのようだともいわれています。

 感覚する対象・現象である色は変化するから、固定した実体のないもの空です。ゆえに色即是空、空即是色という。色のみならず、受・想・行・識もすべて空ということで、五蘊は実体がないから空です。したがって、無明(無知・迷い)もなく、無明の尽きることもなく、老いも死もなく、苦しみもなく、苦しみの原因である欲望もなく、それを滅する方法もなく、さとることもなく、さとらされることもないと般若心経は説いています。

一切皆空

 生きものは何億年という歳月において、それぞれが進化をとげて、子孫が命を受け継いできた。ことごとくが関係している世界においては、如何にして環境の変化に適合してきたか、それが進化です。個々の生きものは利己的なようですが、食物連鎖にみられるように、利他的な関係の上に生物界は成り立っているのです。この世の中は因縁生起で、すべてが関係しているから、利己的な生き方では変化する環境に適合できないということです。人間の生き方においても、自己中心の生き方では息苦しくなるのです。

 生きるということに、苦しみがともなう、それには原因がある。ではその原因を取り除くにはどうすればよいのかということですが、この世の現象はすべてが固定した実体でないから、利己的でなく利他的な生き方で、得るところを求めたり願ったりすることなく、純粋無垢な心で対応すればよろしいということです。そうであれば恐れるものもなく、あらゆるものを逆さまに見たり、無いことを有ると思ったりすることもないから、苦を離れて安らぎのある生き方ができると般若心経は説いています。

 般若心経に、全人格体である五蘊とは、色・受・想・行・識であり、みな空であると見きわめるべしとある。この五つのそれぞれが人生を生きとおす智慧の働きであり、人生を照らして見る働きでもある。色とは形あるものであり、空とは、その形あるものは結局はむなしいということです。この世界は空であり、身心も空である。一切皆空であることを究尽すべしということです。

 この世の事象は縁起の道理により展開しています。したがって、ことごとくが固定した実体のないものばかりであるから、空であり無である。世界は空、身心も空ですから、とらわれ、こだわり、かたより、そういう生き方をすれば本質を離れることになるから迷うのです。さとりにすらこだわると迷いになる。般若心経の空とは迷いを離れさせるために用いられた表現です。ものごとをありのままに見て、ありのままに生きる知恵が般若です。そして、それは菩薩の修行である慈悲行そのもであるから、利他的でなければ、この世では苦を離れた安らぎのある生き方ができないということです。これからは、ブロックチ
ーンなどのweb.3が進展していくでしょう。そうした仮想現実の世界では利他的な価値観がより重視されるでしょう。

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