2021年5月1日 第268話
             
而今

        一切有為法 如夢幻泡影
        如露亦如電 応作如是観 
 金剛経     

時間という分かれ目

 廊下の透明ガラスの戸に小鳥が激突したのか、バーンという音がしました。見に行くと、やはり小鳥がいました、幸い軽い衝撃であったので、しばらくすると飛び去りました。よかったと、安堵しましたが、時には小鳥が死んでいることがあります。小鳥にすれば突然のことです。こういうことは人間にもあることで、事故や災難に遭遇して落命することがあるのです。

 病気で余命幾ばくもないと医者に告げられて、それを受け入れたとすれば、その時からどのような生き方をするでしょうか。また年老いてくると、この先、自分は何年生きられるだろうか、そう思うようになります。漠然とではあるが人生の終着点を思わざるをえなくなると、人はどういう生き方をするでしょうか。

 一年は365日、一日は24時間、一時間は60分、一分は60秒です。これを時間として、人間は日々の生活をしています。何日、あるいは何時までにこの仕事を完了しなければならないという場合には、今から締め切りの時までが時間となる。またスポーツ競技でゴールのタイムの判定で、時にはコンマ何秒という時間差が順位を決めることになる。寿命すなわち命には限りがあるが、その時間はわかりません。

 事故や災難というものは突然に起こるものです。自分が注意しておれば防げることもあるでしょうが、避け難いこともあるのです。天災は人間の能力の及ばざることがほとんどであるけれど、災難に遭遇しても落命するとはかぎりません。体調不良を感じたり、災難に遭遇したとしても、いち早く対処できれば、深刻な事態が避けられることもあるから、時間が生死の分かれ目になるのです。

時間とは、無常であり無我であることの根源なり

 そもそも時間というものはいったい何なのかということです。たぶんそれは宇宙の始まり、ビックバーンというものから時間が生じたのでしょう。宇宙は膨張して止むことがない。宇宙空間や星々の存在が時間ですから、時間とは宇宙そのものでしょう。

 太陽と地球、月と地球、その存在関係が時間たらしめている。人間は、一年、一日、一時間、一分、一秒という時間の単位を設けています。だが、人以外の生物は時間を意識することなく太陽や月の動きの影響を受けて、それぞれが生理的に反応をして生きているということでしょう。

 太陽と地球の関係において、日の出、日没、春夏秋冬の季節があります。人間のみならずあらゆる生きものが、太陽と月と地球の関係を受けて、それぞれ命の営みをしています。月と地球の関係における潮の満ち引きが、生きものの生理に影響しています。太陽と地球の関係において植物は光合成しています。そして植物と動物とはそれぞれが関係し合っている。このように生命は太陽や月と密な関係にあり、生きもののことごとくがこの関係により生かされているのです。

 宇宙の始まり、ビックバーンというものから、時間が生じた。宇宙は膨張して止むことがない。このことにより宇宙空間や星々の存在があり、時間がある。時間とは宇宙そのものであり、この世のことごとくが無常であることの根源だということです。太陽や月と地球との関係において、あらゆる命が生まれ死んでいく
生老病死を苦ととらえ、生まれながらに死という病をもっているなどと嘆いたりしている人間の認識では、時間については理解しがたいことばかりです。


時間に間隙なし

 極悪非道のものはもちろんのこと、飲む、打つ、買うなど、ぐうたらな生活をしたり、品行方正でないものはあの世で地獄に堕ちるという。また、今生では貧しく、病がちで、争が絶えない、そんな苦しみばかりの日々であっても、それに耐えて生きていけば、浄土や極楽に往生するという。けれども、自分の死についてわからないのに、冥土のこと、後生のことは、知るよしもない。

 邪な生き方を続けておれば、遅かれ早かれその報いが自分に返ってきて、苦しむことになる。また、今は苦しくても、ひたすら耐えておれば、やがて苦しみは喜びに変わることがある。苦あれば楽あり、楽あれば苦ありというけれど、その報いがいつあらわれるのかはわからない。けれども因果応報は自分自身につきしたがうものであるから、善行を心得たいものです。

 仏教では、真理を求め、真理に生きることを精進といい、それが善行です。そのような生き方を志す決意が発心であり、そういう生き方をすることが修行であり、真理を悟ることが菩提であり、そして苦が消滅した安らぎの境地に入ることが涅槃です。この発心・修行・菩提・涅槃を行持するという。発心・修行・菩提・涅槃には時間の間隙はなく、人の生き方とは行持が断絶せず連続することで、道元禅師は行持道環といわれました。

 日々の生き方において、人格の向上、知識や技術について、より上を目指す、そして真理を求めようとする向上心があれば、自ずと慈悲心も育まれる。向上心のある人、目標を定めて自己努力をされている人は、不思議と健康もともなってきます。慈悲心が育まれていくうちに、人は世の中から必要とされ、感謝され、尊敬されるようになるから、真の幸せを感じるようになる。真理を求め、真理に生きることは同時のことだから、道元禅師は修行(修)と悟り(証)
は一つのもの、修証一等といわれました。

虚しく光陰をわたることなかれ

 「一切有為法 如夢幻泡影 如露亦如電 応作如是観」(一切の有為法は夢・幻・泡・影の如く、露の如くまた電の如し、まさに是のごとき観をなすべし)と金剛経にあります。この世界に存在するものことごとくが夢・幻・泡・影の如し、また露の如く、雷のようなもので、一瞬に消え失せてしまうものばかりである。命とはかくの如くであると観るべしということです。

 わたしたちが存在しているこの世界は、すべて生じては変化し、やがて滅していく諸々の現象・存在(一切有為法)によって成り立っています。生じたり滅したりする現象・存在は、縁起により生じ、縁起により滅する。縁起とは因(原因)や縁(条件)によるということです。この世の一切の現象・存在というものはことごとくが生滅変化しているから「一切有為法 如夢幻泡影 如露亦如電」です。だから応作如是観、つまり無常であり無我であると観るべしということです。

 過去、現在、未来は時の流れではなく、その時々であり、一瞬というべきです。ことごとくが一瞬にして生滅しているということです。この世の現象・存在は、夢・幻・泡・影の如く、露の如くまた雷の如し。諸行は無常にして一切空なり、ゼロです。空だからゼロを正数(一切の現象・存在)で割ってもゼロであり、空だから正数はゼロで割れないのです。

 お釈迦様は指を弾いて、一回指を弾く間に65の刹那がある。生きているというのはこの刹那すなわち一瞬のことで、而今(今日只今)であるといわれた。一切の現象・存在は一瞬に消え失せてしまうものばかりであり、命もまたかくの如くである。命は光陰に移されて暫くも止め難しだから、虚しく光陰をわたることなかれということです。

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