2020年3月1日 第254話
             
事と理

     事を執するも元是れ迷い、理に契うも亦悟に非ず
                            参同契


無常の風吹き止まず

 中国の旧暦正月である春節を迎えたころ、中国湖北省武漢市では無常の風が吹き荒れた。三国志の舞台であり、商工業の盛んな一千万人の大都市武漢で発生した新型のコロナウイルスが、世界中に大きな不安を与えています。えたいのしれないウイルスはどこまで蔓延するのか、感染をどのようにすれば防げるのか、国際的に懸念される公衆衛生上の非常事態です。

 目に見えないウイルスは不気味な存在です。ましては新型のウイルスとなればワクチンもなく、どのような治療や予防が有効であるのか、決め手がないだけにいっそうの不安が広がっています。各国ともに自国にウイルスが侵入しないように検疫体勢を強化するなど、想定外の特定できない事態対応への危機意識が高まっています。そして感染が疑わしい人は検査して陽性反応がでれば隔離して、二次、三次の感染を防止する対策がとられています。

 感染拡大がおさまらない中国では、言論統制が初期の対応を遅らせたこと。さらには新型のウイルスであるという認定を早い時期にしなかったことから、初期感染防止策が有効になされなかったと、国民の不満は日に日に高まっており、国の指導部と共産党体制のゆがんだ体質に、かってないほどの批判が高まっているようです。

 これまでに流行したインフルエンザや感染病は、国民生活や経済活動に大きな影響をあたえてきただけに、新型のウイルスとなれば、よりいっそうの不安要因とみなされます。感染がさらに広がらないかという不安が大きくなっています。予防のためのワクチンが開発され、また有効な治療法が確立されることを人々は待ち望んでいます。

人類は様々なウイルスと遭遇してきた

 中世ヨーロッパでは人口の3分の1が伝染病のペストで死亡した。1918年から始まったスペイン風邪の大流行では、世界中で5億人以上の人が感染し、死亡者数が2000万人とも 4000万人ともいわれています。スペイン風邪は、記録にある限り、人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行です。
 エボラ出血熱、AIDS、SARSはウイルスによる病気です。人から人へと感染することで呼吸困難を伴う肺炎をおこしたり、死亡することがある。中国武漢で発生した抗生物質の効かない新型コロナウイルスの感染は猛威をふるい、肺炎により大勢の死者が発生しました。

 人類は様々なウイルスと遭遇してきた。近年でも毎年のようにインフルエンザが猛威をふるい、広域な感染により多くの人々が死亡している。新種のウイルスの出現の都度、人類は抗体をつくり有効なワクチンを開発してきました。また初期段階での陽性患者の隔離や検疫の強化、感染が広がるのを未然に防ぐ予防など、さまざまな手立てが講じられてきました。

 中国共産党政権は武漢市でこれまでにない病状をもたらす新型ウイルスの発生を訴えた医者達の言行を封じて、悪評として押さえ込んでしまった結果、初動の封じ込めの機会を逸してしまい、その結果史上類を見ない感染を招いてしまった。これはあきらかに中国共産党の一党独裁の弊害であり、顚倒、妄想の罠にはまったといえる。

 日本においても豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号の乗客乗員の扱い方や、中国からの入国者についての初動対策が間違っていたのではなかろうかという疑念があります。感染症の専門家のもとに有効な対策が講じられたのではなく、官僚主導の検疫策がはたして有効であったのかということ、国の危機管理体制を見直すべきであるということにおいて、今後の課題が多いということです。

ウイルスは生物学上、生物なのか

 ウイルスは他生物の細胞を利用して自己を複製させる極微小な感染性の構造体で、タンパク質の殻とその内部に入っている核酸からなる。大部分の生物は細胞内部にデオキシリボ核酸(DNA)とリボ核酸(RNA)の両方の核酸が存在するがウイルスにはどちらか片方だけしかありません。基本的にはタンパク質と核酸からなる粒子であり、非生物とされています。彼ら(ウイルス)に唯一できることは他の生物の遺伝子の中に彼らの遺伝子を入れて、ウイルスタンパクを増産することです。

 生物の細胞は生きるのに必要なエネルギーを作る製造ラインを持っているが、ウイルスはその代謝を行っておらず、他の生物に寄生することでのみ増殖が可能です。ウイルスは非細胞性で、生命の最小単位である細胞や細胞膜を持たず単独で自己増殖できないから、他生物の細胞に寄生したときのみ増殖できる。ウイルスはさまざまな点で一般的な生物と大きく異なっています。


 昆虫のバッタがアフリカで大量発生しているが、増え続けるということはないようです。地球のあらゆる生命は共生という自然の摂理によりなりたっている。だが人類は自然の摂理に順応せずに環境を破壊して爆発的に増加し続けています。ウイルスの存在は共生の世を攪乱し破壊する人間の傲慢な姿勢に対する鉄槌かもしれません。

 健康な人は自己の免疫力がはたらき、ウイルスの増殖を防ぐという自己防衛力をもっているから、たとえ感染しても、打ち勝つことができる。けれども病弱な人や体力の衰えた老人は免疫力が十分に発揮できないから、ウイルスタンパクが増えて肺炎などの病気になり、重症化すれば死んでしまう。
 感染力の強い新型コロナウイルスの蔓延による人々の不安心が、政治の混乱や不信を惹起し、経済活動にも大きな影響を及ぼすことから、人々は安心安全の有効な行政施策を求めています。
 京都の町でこのところ外国人観光客がめっきり少なくなりました。拝金主義でなくほんとうの豊かさとは何か、経済のあらゆる面でも見直しが求められているのでしょう。


事と理

 「事」とは一々の具体的なもの、ことがら、「理」とは普遍的なもの、全てに普遍する真理実相のことです。
 毎年流行するインフルエンザや鳥インフルエンザなどのウイルス性の病原菌は様々あります。そして新しいかたちのウイルスも出現します。これらウイルスには共通するところがある。野生動物を宿主として増え、野生動物から人へと感染し、やがて人から人へと感染が広がるようになる。「事」とは具体的なものであり、こういう様々なウイルスの存在と出現、ウイルスの特性や感染の実態のことをさすのでしょう。

 毎年インフルエンザで多くの人が死んでいる。ワクチンが開発され予防が施されると自分で抗体を持つことができるが、新型ウイルスにはこの抗体となるワクチンがないから不安です。したがって感染が広がらないようにすること、感染しても死に至らないようにすること。それにはウイルスの正体を知り、感染防止につとめることが有効な対策です。「理」すなわち、コロナウイルスについても、普遍的な真実実相が明らかになれば、なんら怖れることもないということです。

 参同契というお経に「事を執するも元是れ迷い、理に契うも亦悟に非ず」とあります。「事」と「理」は一体不離です。これをたとえると、二人の弓の名人が向かい合って同時に矢を放ったところ、双方の矢じりが中途でガチリと打ちかって共に地に落ちた。契うとはものごとが寸分のすき間なくピタリと合うことです。事と理とは寸分のズレもなく、両者一体不二です。

 未知の新型のウイルスは今後も出現することから、人類の叡智によるウイルスとの戦いは今後も不可避でしょう。こうしたウイルスとも人類はつきあっていかねばならないのです。ウイルスを撲滅することはできないでしょうから、新種のウイルスが出現しても、隠蔽することなく、いち早く国際的に各国が情報を享受して、その存在をありのままに認めて蔓延しないように、早期に的確な隔離政策をとり、抗体をつくる。新種のウイルスともつきあっていくということは、「事」と「理」をあきらめることであり、共生きという生き方に関わる人類共通の課題です。

 
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