2019年6月1日 第245話
             
忙中閑あり

    寂静無為の安楽を求めんと欲せば、
    当に憒鬧(かいによう)を離れて独処に閑居(げんご)すべし。
                             「遺教経」
 

ストレスや生活習慣の乱れが身心の不調をまねく

 ストレスはからだの疲労や精神的な圧迫感によって体内におこる歪みです。現代人は職場でも学校でも、地域社会でも、家庭においても、日々何らかのストレスを感じています。人間関係の悩みをかかえている人がとても多く、人間関係からくるプレシャーなどから、不安、いらだち、緊張などのストレスにより、心や身体の不調を感じるようになります。
 さまざまなストレスに加えて、夜更かしなどによる生活リズムの乱れ、不規則な食事、飲酒や喫煙などによって自律神経のバランスが乱れると、心や身体の不調につながります。

 ストレスなどの心因が影響して、特定の臓器や器官に異常が現れたり、いらいらや憂鬱感や不安感、集中力や記憶力の低下、倦怠感、食欲不振、不眠などと、全身症状として現れることがあります。病院で検査をしても臓器や器官に病的な変化が認められないということがあるようです。ところがこういう症状の中にうつ病や神経症が隠れていることがあるので注意しなければなりません。

 人には利己的な生き方をしてしまう貪瞋癡(むさぼり、いかり、おろかさ)の三毒の心があり、この三毒の心がはたらくから煩悩が生じます。人体は煩悩の入れものです。だから、煩悩が尽きることなくどんどん出てくる。一つの煩悩を鎮めても、また次の煩悩が出てくる。欲の尽きることがありません。次々と湧いてくる煩悩がストレスの原因です。

 三毒の心のおもむくままに勝手気ままな自分本位の生き方をして、そのために自分で悩み苦しんでしまいます。そして欲望が誘い水となって、さらなるストレスや生活習慣の乱れをつくり出してしまいます。
 私たちは自我の欲望のおもむくままに利己的な生き方をしているから、悩み苦しみを自分自身でつくってしまい、それがストレスの原因になっているようです。

健康は、自律神経が順調に働くのを維持することです

 社会生活をしているかぎり、日常的にストレスから逃れることはできません。ストレスが原因で精神的な不安や悩みをかかえて日々生活をしています。ストレスにつながらない強靱な精神状態を保てればよろしいが、なかなかそうもいきません。ストレスが解消されないと、精神的な不安や悩みはさらに深刻なものになり、身体までこわしてしまい、悪くすると家庭崩壊や人生の破滅につながります。

 人は自然体であれば、どんなストレスであっても、柳に風のごとくやり過ごせて、日々生きていけるのですが、ことさらに執着するから、自己をゆがんだものにしてしまうのです。素直な自己であればよいのに、人間関係でかまえたり、過ぎたことにこだわったりしてしまうから、ストレスがさらに増幅してしまうようです。

 自分の意思によらずとも、自律神経の働きによって、胃も腸も、肺も、心臓も、すべての臓器が四六時中休むことなく動いています。だから、生かされているのだということに気づかなければいけないのでしょう。
 お体様が自ずからのはたらきとして自律神経により臓器を働かしてくれます。だから健康に留意して、自律神経が失調しないように、交感神経と副交感神経がバランスよく順調に働く状況を維持しなければなりません。

  生活ぶりによってもちがうでしょうが、日常とは、悩み苦しむ迷いの自己と、悩みも苦しみもないおだやかな自己であるときとの、せめぎ合いというところでしょうか。ストレスを解消できればよろしいが、なかなかそうもいかないから、欲望のおもむくままに生きるのか、仏心を呼び覚まして生きるのかで、ストレス社会を生きぬく幸せの分かれ目があるようです。日常生活において、仏心を呼び覚まして生きるのが仏教の目的です

諸々の心乱れる騒がしさを離れ、静所に一人住まいするを、楽寂静と名づく

 とかく人は常に自然体でおれないから、自分自身で悩み苦しむ原因をつくりだしてしまいます。いかなる時も自然体でありたいものです。
 人はストレスを感じて日々生活をしています。すこし時間があれば、坐禅のように足が組めなくても、正座でも椅子でもいいですから、五分でも十分でも静かに坐って、背筋伸ばして姿勢を正し、肩の力を抜き、呼吸を整える。お腹の底からゆっくり吐き出す呼吸法でリラックスする、そんな一時を持つことをおすすめします。

 背筋を伸ばし前にも後ろにも右にも左にも傾かず姿勢を正して、身体を調えます。そして出入の息をおだやかにして、呼吸を調えます。身体も呼吸も調えば、眼を半眼にして念想観や心意識をはたらかさず、心を調えます。

 眼を半眼に開くことによって瞑想しないから、自己を見失うことがない。心意識の運転が鎮まれば、分別心や妄想もおこらず、心が自ずから調うから、自律神経が順調に働く環境が調います。自律神経の働きが順調であれば、人体の健康が保たれます。身心一如であるから、身心ともに健康が保持されるのです。自律神経が順調に働くもっとも好ましい状態を、日常に保つことが大切です。

 「諸々の心乱れる騒がしさを離れ、静所に一人住まいするを、楽寂静と名づく。」これは遺教経の一節です
 楽をギョウと読めば願うということ、ラクと読めば安楽ということです。世間の束縛に執着すればするほど、さまざまな悩み苦しみの中に埋没してしまいます。絶対の安らぎの楽を求めたいと思うならば、心乱れる騒がしさを離れて静かなところに一人で修行するがよい、これを遠離という。このように説かれています。


忙中閑あり

 毎朝一番に背筋を伸ばして姿勢を正し、肩の力を抜き、ゆっくりと息を数回吐く。朝一番のラジオ体操と同じように、心の体操で今日一日が安らかになります。
 坐禅は自己のあらゆる執着心を放下して、束縛から解放された姿勢を保つことから、自律神経の働きにおいては最も好ましい状態といえるでしょう。それで日常修行として、坐禅修行をおすすめします。坐禅ができなくても、背筋を伸ばし姿勢を正し、肩の力を抜き、お腹の底からゆっくり吐き出す呼吸法を、一日何度も実践されることをおすすめします。

 ほんの一時の静慮によっても、本来の自分を取り戻せます。現前の何もかもをありのままに、あるがままに受けとめられたらよいのです。かまえてみても力んでも、ならないものはならない、なるようにしかならないものです。
 何ごともあるがままに受けとめ、ありのままに認識できれば泰然自若の生き方ができる。悩みもなければ苦しみもない生き方とは、何ごとにもことさらにこだわらない生き方を身につけることでしょう。

 坐禅は自己を束縛する姿勢であると思いがちですが、そうではありません。道元禅師は身心脱落といわれたが、身も心も全体がすっぽりと抜け落ちるから、身心一如で、坐禅は自己を解放した自然体であり、平常心(仏心)そのものです。
 坐禅を修行していることが、そのまま証(さとり)の現れであり、身と呼吸と心が調っているとき、自律神経の働きは順調です。


 煩悩の炎が鎮まったやすらぎの境地を求めようとするならば、喧噪を離れて、一時でもよいから、背筋を伸ばして姿勢を正し、肩の力を抜き、呼吸を調える。お腹の底からゆっくり吐き出す呼吸法でリラックスする、そんな一時を持つことをおすすめします。
 「忙中閑あり」とは、忙しい中の一時の閑(しずけさ)という意味です、「忙しい」という字は「心」を「亡(うしなう)」と書きますが、心を亡うほど忙しい時にこそ、自分を取り戻す一時を持ちたいものです。

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