2018年9月1日 第236話
             
三つの幸せ

    菩提心を発すというは、己れ未だ度らざる前に
    一切衆生を度さんと発願し営むなり。 修証義

共生(ともい)きの世界

 人は呼吸をしています。昆虫も鳥も呼吸をします。空気中の酸素を身体に取り込んで、炭酸ガスを戻します。その炭酸ガスを植物は太陽の光と水とで光合成をして、栄養分をつくります。その過程で生み出されるものが酸素で、それを人はいただいていますから、人と植物とは深いつながり関係にあります。植物は根から養分を取り込みますが、土中には微生物やミミズがいるから、植物の栄養分が生まれます。花を咲かせれば蝶や蜂が受粉を助けるので実がなります。ことごとくがつながっているのがこの世でしょう。

 人は意識することなく呼吸をしています。それは自律神経がはたらいて肺を動かしているからです。心臓も、他の臓器も意識しなくても動いて、自分という生命体を生かしてくれています。まさに生かされているということです。
 ところが生きずらさを感じたり、生きる希望を失ったりすると、生かされているはずの生命体に不調が生じます。自律神経が失調して、生かし生かされているこの世のつながりから離れてしまうと、消滅すなわち死んでしまうことさえあります。

 この世のすべてのものが互いに関係し合って存在しているということですから、存在しているすべてのものが、互いに他の存在を存在させている。生きものならば互いに生かし合っているということです。生きているということは、他を生かし、他に生かされているということです。自己が生きていることが他を生かしている。他に生かされているから自己が生きていけるということで、お釈迦樣はこれを利生といわれました。

 この世のすべてのものが互いに関係し合って存在しているということは、だれもがこの世にとって必要だから生まれてきたということでしょう。そして生きているのであって、その必要がなくなれば死んでいくということです。今生きているということは、生かされているということですから、生かされているという生き方をすべきです。生かされているという生き方とは、自分勝手に生きていけるものでなく、利生すなわち、他を生かすこと、他とともに生きること、それがこの世で生きるということです。生かし合いが生きることの道理ですから、この世を「共生き」の世界といいます。

苦にありというとも、楽にありというとも、「他を幸せに」の心を発すべし

 共生きの世界で生きていくためには、共生きの世界の生き方があるはずです。それは自己の個性を生かした自分流の生き方であっても、共生きの世界の原理原則からそれた生き方をしょうとすると生きづらくなってきます。共生きの世界の生き方とは、すべてが他のためにということでなければなりません。この生き方が利生で、利生の実践が四摂法です。 四摂法の摂とはおさめるということであり、慈悲のはたらきです。道元禅師は 四摂法(布施・愛語・利行・同事)の実践こそ、共生きの世界における生活態度であるといわれました。

 布施というは貪らざるなりで、 そして相手からの謝礼や見返りを期待してはいけません。自らの力で、よろこんで人のために分け与えてさしあげることで、むさぼるという欲心をなくした行いが、布施の実践です。
 無財の七施とは、身施とは労働力を無償で提供すること、ボランテイア活動も身施です。相手の悲しみを自分の悲しみとする、相手のよろこびを自分のよろこびとする、真の思いやりの気持ちが心施です。おはよう、ありがとう、お疲れでしょう、など、言葉の施しが言施です。やさしい眼差しでいることで相手の気持ちがなごみます、これが眼施です。表情で気持ちが相手につたわります。やわらかな顔の表情が和顔施です。老人や身体の不自由な人に席をゆずることを牀座施。宿がなくお困りの人に一夜の宿を提供することを房舎施という。


 愛語とは人々を慈しみと思いやりの心で見ること、心のこもった思いやりの言葉をかけることです。この慈しみの言葉は心に深く刻み込まれ、深く感動します。愛語には社会をも変える力があります。
 利行とは、他人を利益するおこないであり、無所得の利行こそが、他人だけでなく自らも利することになる。自分も他人も、助けるものも、助けられるものもあまねく利益を受ける、自分と他人の区別ない損得をこえた真理を利行といいます。
 同事とは、たがわないということで、自分の心にもたがわないことであり、他人の感情にもたがわないことです。同事とは不違だから、自分も他人も区別することなく、差別することなくということです。海はどんな川の水をも拒まないから、川の水が集まって海となるのです。汚れた水であっても、きれいな水であっても、川の水は最後は海に流れます。どこのどの川の水でなく海の水一色になる。大海はすべて包括するものなりです。これがが同事ということです。

 スーパーボランテイアと呼ばれるようになった尾畠春夫さんはお盆休みに山口県周防大島町で行方不明となっていた2歳男児を捜査開始から30分で発見して、時の人として連日ニュースに登場されました。
 前にも行方不明となった子供の捜索に参加された経験から、子供は低いところから高い方向に移動するという心理は同じだと、幼児の気持ちになって谷を登って行かれたところ子供の姿を見つけられたのです。
 2歳の男児には、救いの手がさしのべられることを願うほどの知能の働きが具わっていたとも思えませんが、救いの手をさしのべてくださいという願いを発信していたのでしょう。それに感応道交したおじさんは、子供と同じ気持ちであったから、見つけてくださったのです。おじさんは、その後も西日本豪雨の被災地でボランテイア活動を続けておられます。

 幸せとは何か、どうすればその幸せを実感できるのでしょうか。幸せは自らつくり出すものであり、また、いただかせてもらうものです。自分本位の心を捨てて、世のため人のために尽くそうとする誓願をおこし、この四摂法(布施・愛語・利行・同事)を一歩でも半歩でも実践することによって、苦しきことや悲しきことも、どんな困難をも乗り越えていける勇気と自信がそなわり、心も晴れるから、それで幸せにつながるのでしょう。


三つの幸せ

 だれでも、幸せとは何なのか、と、ふと思うことがあるでしょう。今までが幸せな日々であっただろうか、今は、幸せだろうか、そしてこれから先はどうだろうか。自分にとって幸せとはどういうことだろうか、そう思う時に、次の三つの幸せということに思いをめぐらせてみてはいかがでしょうか。

 すなわち、その一は、「この世に生まれてきたという幸せ」です。その二は、「今、生きていることの幸せ」です。そしてその三は、「生きていくという幸せ」です。だが、過去、現在、未来がともに幸せであるならば、それは最上ですが、人生には栄枯盛衰があり、紆余曲折があり、一瞬先は闇でわからないから、時系列で判定しないほうがよさそうです。

 この世とは、すべてのことが関係しているところです。生きとし生けるものはみなつながりの中にあります。生きもののみならず、山も川も海も星も、ことごとくが関係し合ってすべてのものが存在しています。お釈迦樣はこれを縁起といわれました。その縁起によって、私たちは両親のもとにこの世に生まれてくることができました。新しい命が誕生するという諸々の縁が満ちたから生まれてくることができたのです。したがって、諸々の縁により生じたものは、諸々の縁が解けると滅してしまいます。

 この世では、すべてのものが関係し合って存在しています。ことごとくつながっているのです。だから、どんなものでもこの世に存在するものは、いずれも欠くべからざる存在であり、必要なものばかりで、不必要なものは存在していません。だれもがこの世にとって必要な存在として、この世に生まれてきたのです。この世に必要な存在として、両親のもとに生まれてきました。まずは、「この世に生まれてきたという幸せ」を受けとめたいものです。


今、生きているという幸せ、そして、生きていくという幸せ

 今、生きているということは、生かされているということで、意識するしないにかかわらず、利生はこの世の道理です。したがって、これに逆らって生きようとすれば生きづらくなります。もしあなたが生きづらさを感じているならば、自分自身が利生に反した行動をしているか、まわりの誰かさんが利生の空気を乱しているために、その影響を受けているかのいずれかです。

 今、幸せに生きるということは、利生の生き方をすべしということで、利生の生き方をしている限り、その人は幸せであるはずです。「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」という道元禅師の教がありますが、他を幸せにしない限り、自己の幸せはありません。
 そんなお人好しで頼りない考え方では激烈な競争社会を生き抜くことなどできないとお考えの方もあるでしょうが、この世が共生きの世界であることは、否定できない根本法則です。

 世の中でその人が必要なのだと認められること、他から必要とされる自分であれば、自分の存在感を常に自身で感じ取れるでしょう。それが、「今、生きているという幸せ」です。そして他が、世の中が必要としていることを自分が受けとめ、応じることができれば、それが自分の幸せにつながります。それは仕事でも、ボランティアでも、人間関係でも、何でもよろしいでしょう。その必要なことに邁進できればそれは幸せそのものです。そしてそういう生き方をしている限り、その人は他から、社会から、尊敬されるでしょう。

 他から必要とされ、他から尊敬されると、人は心底から幸せと感じます。お金も健康も当てにならないものです、欲も際限がありませんから、幸せ感は長続きしません。他から必要とされ、他から尊敬される、その生き方の一歩一歩に幸せという足跡が伴ってくるから、それが続けられている限り、その人は幸せのレールを踏み外すことはないでしょう。他から必要とされ、他から尊敬される生き方をすることが「生きていくという幸せ」そのものです。

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