2018年7月1日 第234話
             
不妄語(ふもうご)

     第四不妄語。
     法輪(もと)より転じて(あま)ることなく欠くることなし、
     甘露一滴、実を得、真を得るなり。 教授戒文

うそ偽りの言葉を語るなかれ、うそ偽りの行為をするなかれ

 森友学園への国有地払い下げや、特区における加計学園の獣医学部新設において、官僚の忖度によって公文書が不正に書き換えられ、事実が隠蔽されたのではないかという疑惑が浮上して、長期にわたり国政が紛糾するという事態が続きました。今、日本の政治に対する国民の信頼が失墜しています。

 また、国際平和維持のための自衛隊海外派遣に関する防衛省の日報の存在が問題となりました。すでに破棄されたと報告されていたものが存在していたために、防衛省の報告がウソであったということで、管理責任が問われました。日本の国際平和維持に貢献することの意義や国防についての憲法上の対応策はそっちのけで、官僚の虚偽報告が問われ、国民の不信を買うことになりました。

 大手鉄鋼メーカーが企業ぐるみで製品品質の虚偽を行っていたことが発覚し、重大な企業犯罪であるという批判を受けました。大手自動車メーカーでも排ガス数値を隠蔽して出荷したり、排気ガス規制基準に適合しているか否かの検査体制に不正がありました。建設業界では不当な価格協定や不法建築などの不正が発覚するなどの事象が後を絶ちません。

 政治や行政における不正、企業活動における虚偽行動、そして人間関係でのうそ偽りなど、そうした行いは多岐にわたり古今東西を問わず、絶えることがありません。人間社会では、うそ偽りがつきものなのでしょう。

うそも方便というけれど

 戦国時代では奇計、奇策など、味方をも欺くような奇略があった。明智光秀は「仏のウソを方便といい、武士のウソを武略という」といいました。本能寺の変の後、天下の覇権をめぐって、戦われた山崎の合戦では、その明智光秀も羽柴秀吉による奇略で敗北しました。秀吉は多くの大名が光秀の味方をしないというウソの誇大情報をもとに明智光秀を心理的においつめた。明智光秀は情報戦で敗北を期したのです。情報を制するものは戦いを制すということで、戦場では計略の応酬が盛んでした。それは少数の集団が多数の集団に勝つための戦術でもありました。

 米朝会談後、トランプ米大統領は安倍総理に、「百パーセント、シンゾーを信頼しているから、一緒にやっていこう」とのべたという。「私は北朝鮮にだまされない。1994年から拉致問題に取り組んできたが、何度もだまされてきた。北朝鮮のだましの手口は分かっていると」と安倍総理は強調されたという。
 米朝首脳が握手したことで朝鮮半島における戦争の危機はひとまず回避されたようですが、核やミサイルが排除され、拉致された人々が家族のもとに帰り、北朝鮮の人々も人権抑圧がなくならないかぎり、真の平和を確実にすることはできないでしょう。

 大きなものも、小さなものも、それなりに包むことができるから風呂敷は便利なものです。”うそも方便"とは風呂敷みたいなもので、時にはうまくことを納めたかのように包んでしまうことです。うそ偽りであっても黒白はっきりとさせない方がよいということも、ことによってはあるようで、玉虫色の解決とは、うそ偽りであろうがなかろうが、それを明確にせずに、大風呂敷で包んでしまおうとするものです。

 不妄語とはうそ偽りを言わないということですが、それは人が人にうそ偽りをいわないことであり、企業が顧客に消費者に社会に、国が国民に対して、あるいは国際社会では他国に対して、ということでしょう。不妄語とは、うそ偽りの言葉を語るなということにとどまらず、うそ偽りの不正な行為をもしないということです。

人間をだませても、自然をだますことなどできません

 世の中と言えば、それは二通りの世をいうのでしょう。一つは宇宙であり、山川草木の自然界です。自然界は、すべてが真実真理のありのままが露呈したところであり、うそ偽りなど全くありません。ところが、人間はうそ偽りの行為をもって自然をゆがめています。それは自然環境の破壊であったり、生態系を乱したり、破滅させたり、遺伝子組み換えなど種そのものを変えてしまうことさえ人間は行っています。真実真理に対する反逆行為といえるでしょう。

 世の中と言えば、また一つは人間社会であり、人間関係のあるところです。巧みなだましのテクニックをうまく使い分け、金品をだまし取るという犯罪があります。けれども、悪智慧をはたらかせ、だましの巧妙さで人をだませても、自然をだますことなどできません。自然はそのままに真実真理の露われであるから、醜い人間のだまし根性を屈指しても、けっきょくは自然をだますことなどできない。だから自然の道理に逆らったら、かならずしっぺい返しがあります。

 「お天道様が見てござる」とか、「ご先祖様に恥ずかしくない行いをしなさい」という倫理が日本人にはあります。うそ偽りで人をだませても、お天道様を欺くことはできません。「壁に耳あり障子に目あり」ですから、危うい人の心理を自制して、うそ偽りの行動を自重せよということです。うそ偽ると息苦しくなるから、自戒の念がはたらきます。不妄語戒とは、正直であれということでしょう。

 肩肘張ってかまえてこだわって、虚勢をはっても、人間は自然の前には無力です。うそ偽りの行いをしようにも自然をだまくらかすことはできません。朝に太陽は東より昇り、夕べには西に沈む、天地自然にうそ偽りなどありません。天地の真理は、いついかなるところでも、あまねく説かれていますから、人も自然体で、あるがままに、うそ偽りなく生きておれば気楽に生きていけるのに、虚勢をはったり、うそ偽りで誤魔化そうとすれば、息苦しい生き方をせねばならなくなります。

うそ偽りもなく自然体で、人の心を潤す真心のこもった言葉を語れ

 道元禅師は不妄語戒について「法輪より転じてることなく欠くることなし、甘露一滴、実を得、真を得るなり。」といわれました。自然のわざわいが人間に影響を与えても、自然界にはうそ偽りというものは微塵もありません。ことごとくが真実真理の現れであるから、うそ偽りなど何処にも見当たらないのです。ところが同じこの世に生存している人間には煩悩があるから、人間界にはうそ偽りがあります。

 うそ偽りを重ねていると、いつしかそれに慣れっこになってしまい、平気でうそ偽りの言葉が出てしまうようになる。嘘つきは泥棒の始まりで、うそ偽りが日常化してしまうと、悪いことだという認識すら薄れてしまいます。
 企業でも、虚偽の行動や隠蔽体質が日常化してしまうと、企業ぐるみで消費者や顧客に不正な商品を出荷し続けてしまい、発覚すると信用失墜から企業は存亡の危機に陥ってしまいます。

 人間には自性清淨心があるから、本来はうそ偽りのない真実人体です。ところが、次々と生じてくる煩悩によって、自性清淨心が隠蔽され、うそ偽りを語ってしまいます。けれども、自性清淨心が本性としてあるから、うそ偽りを語っていると、心苦しさを感じるようになり、それで猛省し懺悔して、うそ偽りを語らない自己に立ち帰ることができるのです。

 うそ偽りのないこの世に生きているのだから、不妄語すなわち、人をだましてはいけない、うそ偽りを言わない、うそ偽りの行いもしない、ということです。愛語、すなわち人の心を潤すような真心のこもった言葉を語っておれば、日々安泰であるということでしょう。

”心の悩み・人生相談”
  二十年の禅僧が語る

生き方上手の術を身につければ
悩み苦しみの迷路から抜け出せる
人生の標準時計に 生き方を合わす
それが、
苦悩な生きる術

 発行 風詠社   発売 星雲社
 書店でご注文ください 
 Amazon 楽天 Yahoo!
 でも買えます1500円(税別)

戻る