2018年6月1日 第233話
             
不邪淫(ふじゃいん)

    第三、不貪淫(ふとんいん)三輪清浄(さんりんしょうじょう)にして希望(けもう)するところなし、
             諸仏同道(しょぶつどうどう)なるものなり。 教授戒文

邪な欲望をもって道をすすめば間違となる

 モリ、カケ、といえば蕎麦でなく、森友学園への国有地払い下げ、加計学園の特区での獣医学部開設について、官僚による忖度(そんたく)があったのかという問題の略称です。そのいずれもがマスコミ報道に端を発して、長きにわたり政治問題になっています。国の内外での課題が山積している時下の情勢に真摯に向き合うこともなく、政治家達はマスコミ報道に絡めて、政局の具に仕立て上げ、人々の関心を集めることのみに明け暮れしているようです。

 社会問題となった醜いうわさは、あとをたちません。財務省の事務次官がセクハラ疑惑で辞職しました。県知事が援助交際をしていたと批判され辞職された。国会議員が不倫疑惑をマスコミに報道され、議員を辞職しました。いずれも週刊誌が著名人のスキャンダルとして読者の興味を惹くように報じて、テレビが茶の間の話題として提供するから、庶民の知るところとなりました。

 俳優など著名人の不倫や浮気について、週刊誌やテレビが相も変わらず日替わりで話題を報じています。不倫や浮気という行為は一般人も同じでしょうが、特異なものや事件性がないかぎり、マスコミの報道対象にはなりません。江戸の瓦版からはじまって、週刊誌やテレビの今日に至るも、不倫や浮気のうわさ話は昔も今も人々の関心をあつめています。

 男女の道を踏み間違うことなかれで、邪な欲望をもって道をすすめば間違いとなるとは、男と女の関係についての戒めですが、これは古今東西を問わず人間の課題です。ところが不倫や浮気という男女の間柄のことは、社会構造の変化やライフスタイルの変貌によって、一昔前とはかなり様子が異なってきたようです。

つる草のごとく愛欲は茂る

 不倫も浮気も「人の道を外れる」という行為でしょうが、古くは男の甲斐性とされて容認される風潮がありました。けれども男尊女卑だということから、現代では許されないこととされています。男女平等の時代では女性の地位や立場も向上してきたからか、女性の不倫や浮気が増えてきました。

 不倫や浮気にはしるのも、その背景には平均寿命の伸びがあるといわれています。50年前では人生五十年で、子孫を産み育てることで人生を終えたのです。ところが今は人生八十年で、格段に増えた時間をどう充実させるか、性に関わる生き方の問題でもあります。高齢者は性とどう向き合っていくべきかということも、人生八十年の課題です。

 離婚率も高くなりました。3分の1の離婚率とは、結婚したカップルに対する離婚に至った夫婦との対比のことです。若い世代の離婚率が高くなっていますが、熟年離婚ということもよく耳にします。離婚に至った原因としては性格の不一致が最も多く、不貞行為を含む配偶者の異性関係、経済的なこと、暴力・DV、両親との折り合い、子供への愛情、出産、単身赴任などで、離婚理由はさまざまです。

 「この世にて、毒にみちたる、はげしき愛欲に、うちまけたる人には、かの生い茂る、ピ-ラナ草のごとく、憂苦(うれい)、いよいよ増しゆかん」法句経335
 2500年前のインドで、お釈迦樣は愛欲による苦しみについて、愛欲に陥った人は、生い茂っているピーラナ草のように,憂いと苦しみがますますつのるであろうと戒められました。けれども、なかなか断ち切れない愛欲の煩悩も、克服してゆけば、蓮の葉よりこぼれ落ちる水滴のように、その憂いと苦しみは消え去ると教えられました。

二人の絆

 日常生活で満たされない何かがあると感じている人は、身勝手な行動に走りがちです。さみしさを満たそうとして、他の異性とのふれあいを求めてしまいます。それが度重なるうちに離れられなくなってしまいます。そして平穏な日常に波風が立ち破滅に陥ってしまうのです。

 「心の悩み・人生相談」で愚僧のところへ、ご夫婦やパートナー、そして男と女の間柄のことでの悩みごと相談があります。
ところが他人である第三者には男と女それぞれの心の奥深いところのことまではわかりません。夫婦でも、パートナーでも、男と女の間柄であっても、お互いが二人の絆を強く保つように努めなければ、その関係はとても壊れやすいものです。

 強い絆の保ち方とは、次の五つの条件が満たされることかもしれません。
一、お互いを大切に思い、愛し合う努力をおしまないこと。
二、お互いに心身ともに相性をより好くしていきたいと願うこと
三、精神的にも、経済的にもお互いを必要とし合うこと
四、信頼し合えるように、お互いが心掛けること
五、お互いに尊敬し合う心をわすれないこと。

 この五つの条件を満たすために、お互いの努力があれば、ご夫婦、パートナー、男と女の間柄の絆は強く保たれるでしょう。けれども、どちらかが怠ればたちまち絆にゆるみが生じてしまいます。脆きは人と人の絆ですから、絆を強く保てるか否かはこの五つの条件が目安になるでしょう。そのためにはお互いの努力や工夫が欠かせません。

深い真理の味わいがわかれば、その楽しさは他のいかなる楽しさにもまさる

 この世とは共生きの世界であるから、自分がこの世に生まれてきたということは、自分がこの世にとって必要だということです。自分が今存在しているのは、自分がこの世にとって今必要とされているからです。したがって、男と女が出会って、ともに手を携えて他に必要とされる生き方ができれば、他から感謝され尊敬されるから、ともに生きていることが、とても幸せであると感じられるでしょう。
「欲楽より,憂いと恐れを生ぜん、欲楽を超し人に憂いも恐れもなし」法句経(214)

 世の中とは共に生きていくところですから、共に生きていけるという人の存在が必要です。男と女が出会に始まり、その人とともに生きることで、他とのつながりが広くなり、社会に貢献できるでしょう。利他の生き方で、ともに人生を歩むことができれば、それはすばらしいことです。
 愛欲により憂いと恐れが生じるというけれど、愛欲によって人生が豊かなものになるのです。 
「愛より憂いと恐れを生ぜん、愛より全き自由を得たる人に、憂いも恐れもなし」 法句経(212)

 諸仏同道とは、諸仏と一緒に道行きしているということです。一人は自分、もう一人は仏さまです。すなわち、煩悩に揺り動かされてしまいがちな邪悪な自分であるが、仏性が具わった清淨の自分でもあります。自性清淨心という、生まれながらに具わる仏心があるから、邪悪な自分の行動にブレーキをかけることができれば、心の安らぎを得ることができるということです。
「むさぼるなかれ、争いを好むなかれ、愛欲に溺るるなかれ、よく黙想し、放逸ならざれば、必ず心の安らぎを得ん」法句経(27)

 心のまずしさに気づき、懺悔する心をたもつことが大切です。不邪淫戒とは、愛欲に執着して愛欲にのめりこんではいけない、ほしいままに道ならぬ欲望の満足を望んではいけないということです。愛欲を離れて自分自身の自性清淨心に気づき、仏法すなわち深い真理の味わいがわかれば、その楽しさは他のいかなる楽しさにもまさるでしょう。
「愛欲に溺れず、憎しみを好まず、善悪ともにとらわれざる、心豊かなる人に、悩みあることなし」法句経(39)

”心の悩み・人生相談”
  二十年の禅僧が語る

生き方上手の術を身につければ
悩み苦しみの迷路から抜け出せる
人生の標準時計に 生き方を合わす
それが、
苦悩な生きる術

 発行 風詠社   発売 星雲社
 書店でご注文ください 
 Amazon 楽天 Yahoo!
 でも買えます1500円(税別)

戻る