2018年3月1日 第230話
             
幸せの条件

      たとひ在家にもあれ、たとひ出家にもあれ、
      あるひは天上にもあれ、あるひは人間にもあれ、
      苦にありといふとも、楽にありといふとも、
      はやく自未得度先度侘の心をおこすべし。
                            正法眼蔵・発菩提心



宇宙の始まりから今までが過去、今から、宇宙の終焉までが未来。人が生きているのは宇宙の今、この一瞬・刹那。だから、いつでも今が出発点。

 生まれたことは、その時からやがて死ぬということが決まっているということです。だから人は死を恐れ、死を遠ざけたいと願います。ところが、人は絶望すると、その果てに自死してしまうことがあります。自然界においては食の連鎖は命の連鎖だから、一つの死は他の生の源になるので自死はありません。天変地異など自然現象で死ぬことがありますが、これも自然のありさまです。

 生命体は病むこともあり傷つくこともある。だれでも、どこかに病むところがあるから、全く健康であるという人はいないでしょう。そして生命体は新陳代謝していますから、新しい細胞が生まれる一方で古い細胞が死滅します。新しい細胞が生まれてくるより、古い細胞の消滅がしだいに大きくなると、老化の進行が速くなり、やがて生命体は死をむかえます。

 事件や事故の恐怖体験は自分の心に記憶される。いじめや虐待、人間関係のしがらみは心の傷となる。それが親子や夫婦、兄弟という身近な間柄であれば、とても深い心の傷になります。恐怖の体験や、辛く悲しいことがいつまでも記憶されて消えないとか、その体験がよみがえってきて苦しくなると言う人がありますが、はたしてそうでしょうか。
 宇宙の始まりから今までが過去で、今から、宇宙の終焉までが未来で、人が生きているのは宇宙の今、この一瞬・刹那だから、いつでも今が出発点です。宇宙の尺度でなく
人間界の尺度で自分の過去にこだわるから、過去を引きずってしまい、長く苦しむことになるのでしょう。

 人の身体は常に新陳代謝して、一呼吸ごとに新しい私に変わっていきますが、過去にこだわり、過去を引きずっていると、心身一如なのに頭の認識が新しい私になっていかないから、ギャップが生じます。このギャップが悩みそのものです。小さな自分の過去にこだわり、過去を引きずっていると、今が過去になり、未来も過去になるから、先々に不安を感じてしまいます。読んだ新聞を捨て去るように、過去を引きずらないで、いつでも今が出発点だから、今を生きることが悩みの解消法です。


身体を調え、呼吸を調え、心を調えておれば、自己を見失うことはない。
また、共生きのこの世では、衆生は共に生きる仲間だと思うことです。


 出会いがあれば別れがあります。出会ったときが別れの始まりの時です。どんなに大切な人であっても、どんなに愛する人であっても、別れがあります。永遠に結ばれているというものはなく、始まりは終わりをともないます。
 嫌な人でも憎しみの相手でも、出会いの始まりがあり、別れの時がある。だから好き嫌いにかかわらず、出会いを喜び楽しむ心があれば、自ずから別れも受け入れることができるでしょう。

 嫌いな人、気の合わぬ人とも、堪え忍んで共に生きていかなければならない。欲しいものが得られることもあれば得られないこともあり、得ても失うこともある。重い荷物を辛くても背負い続けなければならない。とかくこの世は意のままにならぬことが多くて、四苦八苦して生きぬかねばならないのです。

 他の人のことをとても気にする人は、常に他から自分が注視されているとか、他から自分の行動に関心をもたれているなどと思い込み、ものすごく神経をすり減らしています。ところが、自分は他の人の目線や気配など全く気にしたことがありませんという人もあります。他の人のことをとても気にするタイプと、それほどでもないタイプ、人は様々です。

 人はだれでも自分より大切な人はいないから、自分のことばかりが気がかりで、他の人のことなど気にする余裕などないというのが本音です。だから、自分に関心をもたれて注視されていると思うけれど、他の人は自分に対して自分が思うほどに、さほど注視していないのです。けれども、注視され関心の的になっていると思いこんでしまうから、それがストレスとなり、心身に影響して、悩みにつながっていきます。
 姿勢正しく、肩ひじ張らず、呼吸を調えておれば自己を見失うことはない。そして、この世は共生きの世界ですから、だれもが共に生きる仲間なのだと思うことです。過度に他を気にしないようにすることが悩みの解消法です。

ことごとく執着が放たれた自己を本来の自己・真実人体という。

 人間は生まれた時は丸裸です。ものごころつくまでは衣服も親に着せられたもので、自分の好みなどないのですが、成長とともに着心地や好みを主張するようになります。
 赤子には財産への執着心もありませんが、成長とともにお金や資産について、価値を認識するようになると、欲望が次第に増幅して、財についての執着心が強くなっていきます。

 人は限りなき欲望によって、自分自身の立ち位置までも見失なってしまいます。人の欲望を酒に喩えると、人は酒を好み、飲むことを楽しみとするうちはよいのですが、やがて酒が酒を飲むようになると、もう酒を楽しむ自己の存在はなくなってしまい、酒が人を飲んでしまいます。酒やギャンブルのみならず、人の欲望には際限がないから、気をつけないと、いつしか奈落の底に転落してしまうのです。

 日常生活において、よく寝られて毎朝同時刻に起きられる。朝食は必ずとり、昼も夜も食事が美味しくいただける。そして胃腸の調子も良くて便秘もない。快眠・快食・快便が保たれておれば、その人は心身ともに健康であるということでしょう。また、質素を心得として、足を知るということがわかっておれば、衣食住に不足不満の気持ちもおこらないでしょう。

 人は死にゆくときは何も持たずにあの世に赴きます。六文銭だけは冥途の渡しに必要だということですが、財産はもとより借金もあの世へは持っていけません。生まれた時は丸裸であるように、あの世行きも手ぶらです。生きている時にどんなに財に執着しても、死にゆくときにはすべて捨てていかねばなりません。
 自然界で財産を所有する生きものは人間以外にはいません。だから裸一貫という言葉がありますが、丸裸の赤子の姿が本来の人の姿でしょう。生まれた時の自分のことをだれも知らないが、人は原点である赤子の姿、すなわちことごとく執着が放たれた本来の自己を生き方の基本とすべきです。

向上心と利他心があれば、いつでもどこでも主人公。

 こころの病に悩む日本人が300万人、ひきこもりが70万人から100万人、そして自殺者が3万人近いと言われています。四苦八苦というけれど、生きている限りついてまわることばかりです。ところが、この四苦八苦のことごとくに人間関係が絡んでくるから、深刻な悩みになります。日本人のだれもがうつ病や神経症、ひきこもりになるおそれがあるのです。
 いずれにしても、他がどうだとか、他が原因だとか言っているうちは、何ら苦悩は消滅しないでしょう。自分の生き方を変えなければ、自分が変わらなければ、根本的な解決になりません。

 いつでも今を人生の出発点として、真理(さとり・証)を求め真理に生きる(修行)、すなわち向上心(仏心)がある人は欲望に迷うことがない。だが、向上心がない人はあらゆる欲望や誘惑に右往左往して、心が乱れているから常に不安な日々をおくることになります。
 この世は共生きの世であるから、生まれてきたことも、今、生きているのも、生かされているのだと認識する人には利他心があるから、生きずらさをさほど感じない。けれども自分の力で生きぬくのであるから、自分ファースト・利己で生きればよいではないかと思っている人は、生きずらさを感じるでしょう。

 西郷隆盛は、金も名声も求めないで、世の人々の幸せを実現するために命がけで社会の変革を夢見た人であったとされています。今年のNHK大河ドラマの「西郷どん」が好評です。それは、今のご時世には消え去ってしまった価値観に、現代人が郷愁を懐いているからかもしれません。

 「あなたは、なぜ、この世に生まれてきたのですか」「あなたは、なぜ、今、存在しているのですか」、そして「あなたにとって、幸せとは、何でしょうか」。この質問に、あなたはどう答えますか。
 その答えは、「あなたが今、この世に必要だから生まれてきて、今、この世に必要だから存在している」ということです。だから、あなたがこの世にとって、必要な存在であればよいということです。すなわち、あなたの個性を生かして、この世で必要な働きをすれば、あなたは他から必要とされ、他から感謝され、他から尊敬されるでしょう。これが「幸せの条件」です。

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